「骨は珊瑚、眼は真珠」に収められた九つの短編。
表題作と「最後の一羽」だけは、記憶に残っていたが、他の七編は、まるっきり記憶がなかった。
しかし、そのせいで、新作を読むみたいに改めて、これらの作品を楽しむことができた。
いずれも、池澤夏樹らしい短編が並んでいて、今読んでも、ほとんど違和感を感じない。
まだ、この頃はセックスとか男女関係の描写が少ないなと思うぐらい。
しかし、一つだけ違和感を感じた作品があった。
今回、取り上げた「眠る人々」だ。
物語は、三十代ぐらいの男女の2組のカップルが山にある別荘に泊まった時の話で、
一組目は、舞台装置の製作を仕事にしている遼と、料理が上手い厚子のカップル。
二組目は、輸入家具、食器などの販売をしている慎介と、草花に詳しい美那のカップル。
二組のカップルは仲が良く、仕事も順調で、幸わせで成功している人生と言ってよいのだが、遼は、この幸せな状態が続いていくことに漠然とした不安を感じている。
その漠然とした不安を象徴しているのが、彼が見る水の中で眠るたくさんの人々の夢と、彼が時折遭遇するUFOの存在だ。
遼は、自分かの悩みを率直に、三人に話すが、誰にも理解されない。
彼は、別荘の近くに建っている送電線の鉄塔の下まで行き、ぼんやりと空を見上げ、現れたUFOに、自分の悩みを語りかける という物語だ。
まず、めぐまれた生活に身を任せながら、このままで本当に良いのか?という漠然と不安を抱いているという、言ってしまえば、よくありがちな中途半端なスタンスの登場人物は、池澤夏樹の小説では見かけないタイプである。
そして、彼は、その不安と、不安を感じる自分を、深く追及しない。これからも不安を感じながら幸せに生きてゆくということを、UFOに対して、語りかけるだけだ。
この“消極的幸福主義”も、あまり魅力を感じない。
しかし、この小説が書かれたのは1991年。
まだ、バブル崩壊も、阪神淡路大震災も、オウムの事件も、ニューヨーク同時多発テロも、東日本大震災も、原発事故も起きていない。
おそらく、今の池澤夏樹であれば、このような小説を書くことはないだろう。
二十三年も経つと世の中も変わる。
もし、この小説に続編があるならば、おそらく、遼の生き方も、二組のカップルの生き方も大きく変わっていたに違いない。
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