主人公は、年老いた元医師の父が、主人公がまだ少年のころに、四国 松山を旅したときの思い出話を聞く。
それは、父が友人の国語教師と二人で道後の茶店で休んでいたとき、話し上手で酒飲みの乞食坊主と出会い、酒代をたかられてしまったという話だ。
主人公は、その話の中で、乞食坊主が「横しぐれ」という言葉にしきりに感心していたということから、ひょっとすると、その乞食坊主は俳人の種田山頭火ではなかったのかということを思いつく。
国文学者である主人公は、父の死後も数年間、山頭火の句集や研究本を読み続け、知人の文学者と意見を交わしながら、執拗にその推論を追跡していく。
その追跡から浮かび上がってきたのは、
「横しぐれ」ということばに隠れていた別の意味 「死暮れ」 「横死(不慮の災難で死ぬこと)」 と、
山頭火が、その「横死」を好む日本文学の伝統に無意識に従い、死を求めて四国を旅していたのではないかという推測、そして、主人公が偶然出会った元教師から聞き出した父の思いがけない過去だった。
物語では、「横しぐれ」というキーワードから、日本文学史を平安・鎌倉まで遡り、知的な推論を組み立てようとする主人公の目の前に、呪術的な御霊信仰や山頭火と日本浪漫派(右翼的)の関係という前近代的で無気味な影が立ち現れる。
そして、主人公が無意識に記憶から葬り去った少年の頃の記憶を辿っていく行為がそれに重なってくる。
日本文学史をイギリス文学を学んだ批評眼で理解しつつも、その特殊性をどちらかというと嫌悪し、そこから抜け出そうとしてきた丸谷才一が、その嫌悪を逆手にとり、これまた、丸谷氏の文学観に縁のない山頭火というちょっと得体の知れない俳人の影を登場人物として用い、推理小説仕立ての物語にしてしまうという大胆な発想にまず驚かされる。
こんな知的冒険心にあふれた器の大きい小説は丸谷才一にしか書けないだろう。
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