故人の人柄と面影がくっきりと浮かんでくるような微笑ましいエピソードが述べられているところも勿論、若い頃、名優だった宇野重吉から「壊れたハーモニカのようだ」と酷評された声の青年が、常識はずれなまでに役作りに打ち込み、名優に成長していった姿が「あなたはそのハーモニカでいくつもの素敵なブルースを僕らのために奏でてくださった」という言葉に象徴されていて、故人の小さな伝記を読んだような気分になった。
優れた弔辞というのは、そういうものなのかもしれない。
最近亡くなった丸谷才一氏も挨拶の名人で、最近も読売新聞で、作家の辻原登が文学賞を受賞した際の挨拶で、丸谷氏に怒られた思い出話が述べられていたが、丸谷氏の著書「挨拶はたいへんだ」に収められている親友 辻静雄氏(フランス料理研究家)の葬儀での弔辞も、「小さな伝記」の優れた代表例かもしれない。
この弔辞は、辻静雄氏の人生を振り返り、辻氏が行ってきた仕事とその功績を時代背景を交えながらわかりやすく説明しつつ、批評家らしく、戦後日本の知識人の生き方の代表だったと分析しており、葬儀で辻静雄氏を知らない人でも、この人はこういう人だったのだと十分認識できるような内容になっている。
その一方で、抑制はしながらも親しい友人を失った悲しみがひしと伝わってくるところも素晴らしい。
ちょっと、引用してみます。
…しかしまあ、などと自分に言い聞かせたくなる。そう言い聞かせようとして、わたしはあの日以来、努めて来ました。しかし、あの立派な男、優しくて快活で魅力に富む知識人がもういないことの寂しさをどうしよう。
あるとき、こういうことがありました。わたしが読み終えたばかりのイギリスの新刊書のことを話題にすると、ちょうどあなたもイギリス人の友達から貰ったとかでその本を読んでいた。それであれこれと読後感を語り合い、その本に出て来るホテルのことから一転してロンドンのホテルの朝食について話をした。
今後わたしは、あんなふうにして閑談を楽しむ友達を持つことはできないでしょう。寂しい。
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