弓の名人の話なのだが、非常に解釈が難しい物語だ。
紀昌という男が天下第一の弓の名人になろうと志を立てる。
最初に弟子入りした飛衛の下では、瞬きをしない訓練で二年間、小さいものを視る訓練で三年を費やす。
その目の基礎訓練を終えると、すでに紀昌の弓は百発百中の域に達しており、遂には、紀昌は師匠の飛衛から学ぶものはなくなったとして、師を取り除き、自分が第一の名人になることを企む。
その企みは失敗するが、紀昌の危うさを感じた飛衛は、紀昌に霍山の頂に居る名人 甘蠅師を紹介する。
その甘蠅師はさらに凄い技の持ち主で、弓を持たなくても無形の弓で飛ぶ鳶を打ち落とす技の持ち主だった。
ここで紀昌は九年間修業するが、どのような修業をしたのかは誰も知らない。
九年経って山を下りてきた紀昌はまるで木偶のような人物に変わっており、弓にも触れず、言葉も少なくなっている。
「弓を執らざる弓の名人」と周りは持て囃すが、紀昌の木偶の如き顔はさらに表情を失い、語ることすら稀になる。
そして、死ぬ一二年前に、紀昌は、招かれた家の主人に、この器具は何と呼ぶ物で、何に用いるのか質問する。主人は最初冗談だと思ったが、三度尋ねられて、狼狽しながら叫ぶ。「古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」
その話を聞いた都の画家は絵筆を隠し、楽人は琴の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたという逸話で話は終わる。
この話は、弓の道を究めた名人の話と素直に読むものなのか(A説)、あるいは、行き過ぎた修業は人間の才能を枯らしてしまい、皮肉にも、それすら判らぬというのが世間の常であるという話(B説)なのか、判断が非常に難しい。
A説として考えられる根拠は、紀昌が、師匠を取り除き、自分が唯一の名人になろうとしたり、自分の技の凄さを喧伝するような負けず嫌いな功名心が消え失せ、ある意味老成していることだ。
一方、B説は、山を下りてきた紀昌には、弓の実技に留まらず、道を究めた名人にあるはずの豊かな精神の動きすら失われており、見ようによっては認知機能すら危うくなった廃人と化している点が根拠として考えられるだろう。
常識的に考えるとB説のように思えるが、藝事の名人が終には究めた道具の名前も使い方すら忘れてしまうA説のほうが、アイロニーが利いていて個人的には面白いように思う。
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