2020年7月26日日曜日

文字禍/中島敦 その2

舞台はアシュル・バニ・アパル大王が治める紀元前650年ごろのアッシリアの話である。
大王が建設した図書館で、毎夜、ひそひそと怪しい話し声がする。

それは、文字の霊の話し声ではないかという噂が立ち、ナブ・アヘ・エリバという老齢の博士が探索を命じられる。

図書館と言っても、メソポタミア文明ではパピルス(紙)は生産をしていないため、文字はすべて粘土板(瓦のようなもの)に記されており、まるで瀬戸物屋の倉庫のような趣がある。

博士は粘土板に記された楔形文字を長く見るうちに、文字が解体し、意味の無い一つ一つの線の交錯にしか見えなくなってしまう。
そして、その単なるバラバラの線に一定の音と一定の意味を持たせているのが、文字の霊であることに気づく。

文字の精は野鼠のように仔を産んで殖え、人々に悪い作用を与えていることがわかる。
眼が悪くなることは勿論、咳が出始めたり、脚が弱くなったり、傴僂になったり、記憶力が悪くなってしまう、などなど。

自分も文字の霊に毒され重症化しはじめていることに気づいた博士は、文字への盲目的崇拝を改めるよう、大王に進言する。
しかし、その反逆を知った文字の霊は、大地震の時、書庫にいた博士に夥しい書籍(粘土板)を、文字共の凄まじい声とともに降らせ、圧死させてしまう。

この物語を最初に読んだときは、文字の精霊という存在を思いついた中島敦に感心するだけであったが、よくよく考えると、これはアルファベットという文字では、中々イメージが湧きにくいだろうなと思った。

まさに楔形文字や漢字のような象形文字にこそ、文字の精霊は「野鼠のように仔を産んで殖え」そうな気がする。

そして、驚くのは、アシュル・バニ・アパル大王が本当に図書館を建設していたということである。その図書館には、30,000枚以上の粘土板が収められていたというのだから、当時としては大図書館と言っていいだろう。
そこで夜ひそひそ話が聞こえたら、文字の霊を疑ってしまうかもしれないと思わせるリアリティが感じられる。

中島敦の作品は、こういった物語の構想という観点だけでも、感心させられることが多い。



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