表題にある「寝ながら」までは行かないが、寝そべりながらでも、現代思想史の流れを、ひととおり理解できるという非常に分かりやすい本だ。
思想史の世界では、現代は、ポスト構造主義の時代(構造主義以後期)と呼ばれている。
それは、構造主義の思考方法があまりにも深く私たちのもののの考え方や感じ方に浸透してしまった、その発想方法そのものが「自明なもの」になってしまった時代だから。
例えば、アメリカの同時多発テロの後、アメリカがアフガンの空爆を行った際、「ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが、アフガン市民の苦しみを思いやることも必要ではないか」という意見。
このように争っている当事者のどちらか一方に「絶対的正義」があるはずだとは思わず、世界の見え方は視点が異なれば違うという客観的かつ冷静な意見。
これが構造主義の考え方ということになるらしい。
私たちは自分が考えるほど、自由に、主体的にものを見ている訳ではない。むしろ、殆どの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられ」ているという意識。
本書では、この構造主義の成り立ちについて、その前史として、マルクス、フロイト、ニーチェの思想にその源流をさぐり、構造主義の始祖ソシュールの言語学に触れ、構造主義の四銃士といわれる、社会史のミシェル・フーコー、記号論のロラン・バルト、文化人類学のクロード・レヴィ・ストロース、精神分析のジャック・ラカンの思想を実に分かりやすく説明している。
(フーコーの章の「国家は身体を操作する」なんて目から鱗でした)
レヴィ・ストロースは「みんな仲良くしようね」、バルトは「ことばづかいで人は決まる」、ラカンは「大人になれよ」、フーコーは「私はバカが嫌いだ」という、身もふたもないまとめ方。
難解な構造主義者の主張を理解したことについて、著者が、「べつに哲学史の知識がふえたためでも、フランス語読解力がついたためでもありません。馬齢を重ねるうちに、人と仲良くすることのたいせつさも、ことばのむずかしさも、大人になることの必要性も、バカはほんとうに困るよね、ということも痛切に思い知らされ、おのずと先賢の教えがしみじみ身にしみるようになったというだけ」と述懐しているのも面白い。
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