この小説は、十年以上前に購入したあと、長らく未読のまま手元に置き去りにしていた。
一つには、題名から受ける明るい印象と比較して、作品の内容が暗いからというとても乱暴な感想を抱いたせいだ。
この小説の主人公 支倉冬子(はせくら ふゆこ)が体験してきた暗い過去を追体験する気力というか、意欲がどうしても湧いてこなかったというのが率直な感想である。
しかし、福永武彦の作品を改めて読んでいるうちに、同年代の作家ということが気になり、ようやく、なんとか読み切ることができた。
文章は非常に質がよい。音読してみると分かるが、やや硬すぎるきらいはあるけれど、きらきらとしたクリスタルのような理知的な響きに満ちていている。
それでも、私がこの作品にのめり込むことができなかったのは、主人公 支倉冬子に魅力を感じなかったというのが一番の理由である。
この娘(こ)は、人生を楽しんでいないという印象をどうしても強く感じる。
それは彼女が訪れた北欧の街の雰囲気そのもの、あるいは彼女から見た古い実家の雰囲気そのものだったのかもしれないが、そこから感じるのは人生の終わりのようで、黄昏てしまっているのだ。
最後の方で、そういったネガティブな面を克服したかのような展開になるが、その結末が死(しかも死を甘受したかのような終わり方)というのも嫌なのかもしれない。
彼女が恋をしていないというところも原因かもしれない。
この小説の中では、冬子の他にも、主要人物として男爵家の娘が2人出てくるが、ここでも浮いた話が出てこない。仮装舞踏会を開き、若い男女がたくさん集まる機会もあったのに…何故、恋愛をしないのだろう?なぜ、召使の小人が死んだなんて辛気臭い話で終わらすのだろうと、思ってしまう。
この作品から感じた物足りなさばかり取り上げてしまった。
ただ、人は結局、自分が体験した過去からは逃れることはできないし、その過去を豊な土壌にして未来に活かしていくしかないという主題を、美しい文章で、きめ細かに一人の女性の記憶と精神を深掘りして描き切っているという点においては徹底されており、とても読み応えのある作品だと思う。
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