2014年7月12日土曜日

妄想と想像―「知に働けば蔵が建つ」/内田 樹

内田 樹の著書「知に働けば蔵が建つ」の中に、「宿命は何か」という短い文章を読んで、なるほどと思った。著者は、こんなふうに考える。
妄想と想像は違う。
妄想には具体的な細部がないが、想像には具体的な細部がある。
強い想像力を持っている人は、多くの細部を深く想像する習慣があるので、訪れる未来のうちに、必ず「想像したとおり」の断片を発見してしまう。
だから、想像力の豊かな人は、はじめて経験する出来事にも、しばしば既視感を覚える。
そして、自分の意思決定以外の力が自分が今いるこの場所に導いたのではないかと、宿命の力を感じる。
想像力の豊かな人は、どんな人生を選択したとしても、その人生の至るところに「宿命の刻印」を感じる。
だから、そのような人は、「想像したとおりのことが私の人生において実現した」というふうに考える。
強い想像力を備えた人は、構造的に幸福な人である。
この文章に、若干感動しかけたのだが、よくよく考えると私個人としては、既視感というと、あまりいい場面で感じたことがないというのが正直な印象である。

前にも、こんな失敗したなぁとか、やっぱり、あれが起こってしまったとか、あのとき、あれをやってなかったから、やっぱりこうなったんだ、という残念なイメージである。
(不思議と、そういうことは予想が的中する)

これは、私の関心、想像力の方向性が悪い出来事に向かっているせいだろうか。

その「マイナス想像力」を、こうあったらいいだろうなと思う「プラス想像力」に使ってみようと、ふと思ったのだが、具体的な細部を想像するということは、ほとんど、自分の人生の計画を具体的に作ることに他ならないのではという思いに至る。

つまり、今まで、既視感を悪いことにしか感じていなかったということは、私は、自分のプラス方向については、具体的な細部を想像しない「妄想」しかしていなかったのではないかという思い。

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