日露戦争の終結が明治時代の転換期だったことは、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で書いているところですが、山崎正和の「不機嫌の時代」も、
日露戦争後、日本の近代文学者を襲った”不機嫌”という気分を精密に分析しており、非常に興味深い本です。
日露戦争が終結したのは、明治38年(1904年)。
山崎正和は、その戦後といえる明治40年ごろにあって、日本の代表的な文学者であった、20代の志賀直哉、30代の永井荷風、40代の夏目漱石、50代の森鴎外らが、年齢層は異なっていたが、ひとしく”不機嫌”という気分に覆われていたのではないか、という仮説を立て、
・明治維新以来、列強の脅威の中で、ひたすら国家の近代化を全速力で進めるという全国民的目標が、日露戦争の勝利をもって消失してしまったこと、
・夏目漱石や森鴎外の記憶にあった、伝統的な日本の家庭(外の社会に対して開かれていて「公」の要素を多分に持っていた)が、急速な都市化や、男たちの仕事の場が近代化により家庭から切り離されたことなどにより、極端に「私」的な存在に変わり果ててしまったこと、
・「公」という基盤をなくした未熟な自然主義的な感情や、西洋風の社交に代表される環境との不適合から生じる不安と焦燥
など、”不機嫌”が生じた複合的な要因について、森鴎外、夏目漱石、永井荷風、志賀直哉の代表作から多くの文章を引用し、精密に実証していきます。
主人公の会話や行動の裏側、作者が当時置かれた環境を仔細に分析し、異なる作者の作品に共通する要素を探り当てていくあたりは、精神分析的な手法を感じさせる内容となっており、単なる文藝評論とは一線を画している。
この本の最大の収穫は、明治時代の文豪の精神的な危機が現在にも充分通じるものだと感じさせてくれた点にあると、個人的には思っています。
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