2012年1月8日日曜日

災害がほんとうに襲った時/中井久夫

1995年1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災を体験した精神科医が記録した震災後50日間の記録である。(東日本大震災でいう50日間というと、4月30日までのことか)
筆者が東日本大震災を受けて書いた文章も収められている。

以下、災害時に有用な文章を取り上げてみた。
・ボランティアに必要なのは最小限の生活道具と並んで現地の地図である。道案内に現地のスタッフがとられる時間は予想外に大きい。 
・一般にボランティアの申し出に対して「存在してくれること」「その場にいてくれること」がボランティアの第一の意義である…予備軍がいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる。 
・有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。…「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。 
・私の医師観察では震災後一日は水分だけで行ける。三日まではカップラーメンでも何とかやれる。以後はおいしいものを食べないと、仕事は続くのだが惰性的になり、二週間後あたりからカゼが流行って、一人がかかると数人以上に広がり、点滴瓶を並べて横たわっていた。この前に仕事を交代できる救助隊が到着している必要がある。…「四、五十日しか、スタミナは続かぬだよ、生理的に」 
・私は神戸の震災の一年後、米国で模擬的「デブリーフィング」を受けた。私が語ることを求められたのはその際に経験した事実から始めて、その際に経験した感情を吐露し、事実に戻って終わる話である。…やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知され評価される必要があるのだ。
他にも、災害時に役立つ教訓が載っていたが、読後、不思議と印象に残ったのは、震災後、三週間に、筆者が感じた「共同体感情」だった。

それは、筆者が病院の焼け跡のそばに残ったオリーブの木を、次に生かそうと枝を切り取り、たばねて通りを歩いていた際に見かけた、全財産を失った初老の女性に声をかけた情景だ。
「何もしてあげられないけれどこのオリーブの木だって生き残ったのですよ」とふだんなら吐かないであろう感傷的な言葉をかけて一枝を差し出した。
この「共同体感情」は東日本大震災を経験した私たちも直後に共有していた感覚ではないだろうか。

(「災害がほんとうに襲った時」は、昨年4月の毎日新聞の書評で、池澤夏樹氏がボランティアに行こうとするK君に語りかけるような言葉で薦められていました。見事な文章です。)

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