冒頭、鷗外が妻に対して「蛙(かえる)を呑んでる最中だ。」と話す場面が出てくる。
その意味は、毎朝新聞で悪口を言われ、その思いをぐっと呑みこむということらしい。
その悪口の内容というものが面白い。
鷗外は小説を書いても「自己を告白しない」「告白すべき自己を有していない」作家であり、むしろ、翻訳家(=創作の出来ない人という意味で)である。しかも、その翻訳には誤訳・拙訳が多く、最近では「誤訳者」という肩書が付けられているというものだ。
今日、森鴎外のなした翻訳の成果を否定する人はいないだろう。
実際、森鴎外は、八十五編の小説(独・露・仏・米含む)と四十五編の戯曲(伊・西・英含む)を訳し、他にもドイツの哲学者ハルトマンの「美学」や、陸軍の求めに応じ、プロイセンの将軍クラウゼヴィッツが書いた「戦争論」なども訳している。
(翻訳数などの引用元:https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10877/1/izumikoshakiyo_14_86.pdf)
事実、森鴎外の翻訳は「即興詩人」など、原作以上の作品であると言われるほどのものだったが、それは、単なる翻訳に留まらず、翻案(表現を変更して新たな創作を行うこと)まで行ったせいだろう。その理由の一つには、鷗外が当時の世評に反して創作が出来る作家であったことが影響していると思うが、同時に明治時代の日本語の混乱期は、そのような創作能力を発揮しなければ、とても達意の文章が書けなかったことを無意識にも鷗外は自覚していたに違いない。
当時の鷗外に対する誤訳の指摘レベルがどの程度のものであったのかは分からない。本人の書いた以下の短い文章「翻譯に就いて」を見る限り、それは、重箱の隅を突つくような(突つき損ねている)ものだったのかもしれない。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/49251_36953.html
そういった鬱憤を紛らわすためだったのか分からないが、鷗外は自分の家の庭にたくさんの草木を植えて楽しんでいたらしい。そのうち、素性が分からない草木が出て来たので、近くの小石川植物園に行って、草木の名前を確認しようとする。
タイトルの「田楽豆腐」とは、草木の名前を表示する名札のことである。
出かける際、妻にお洒落なパナマ帽を買うことを勧められるが、鷗外は日差しをより避けられる、古いつばの大きい麦わら帽子をかぶり、道中、帽子屋に立ち寄り、そこでも店員から「労働者がかぶるもの」と言われながら、新しいつばの広い麦わら帽子を買って植物園に向かう。実用性を重んじる鷗外の性格が出ている。
結局、植物園では、名札がない草木が多く、鷗外が知りたいと思う草木はなかったのだが、ひっそりとした空気の中、四阿(あずまや)で、勉強している学生や、子守が子供を遊ばせているのをぼんやりと眺め、穏やかな気持ちになっている鷗外が描かれている。
健常な作家が描く普段の生活でのちょっとした満足感。
この短編を読んで、まるでイギリスの作家が書くような精神的な鷹揚さを感じた。
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