これも、また、森鴎外しか書けない小説だと思う。
明治天皇暗殺を企んだとして、幸徳秋水をはじめとした数千名の社会主義者や無政府主義者(アナーキスト)が検挙・逮捕され、幸徳秋水を含む二十四名が死刑判決を受けた「大逆事件」を、鷗外が勤めている陸軍の食堂で同僚と話している内容を書いたものだからだ。
明らかに、鷗外はこの弾圧を行った明治政府側にいると言っていいだろう。
鷗外の役職だけでなく、彼はこの「大逆事件」の取締りの総指揮にあたった元老 山縣有朋とも無視できない関係性を持っていたからだ。
鷗外の立場としては、この事件を無視することもやむを得ないという判断もあったと思う。しかし、彼の知性あるいは良心からすれば、到底、この事件を無視することができなかったに違いない。政府の思想弾圧に一種の危機感を表明したかったという抑えられない思いがあったのだと思う。
ただ、鷗外はそれをきわめて慎重に微妙な言い回しで述べている。
ただ僕は言論の自由を大事な事だと思っていますから、発売禁止の余り手広く行われるのを歎かわしく思うだけです。勿論政略上やむことを得ない場合のあることは、僕だって認めています。
こう述べた木村(鷗外)が、物語上、ひたすら、無政府主義者の歴史的知識を述べているのも、木村が本当は「大逆事件」をどう思っているかを語らせない小説上の工夫と言っていいだろう。
それにしてもと思う。
明治政府の時でさえ、渦中のいわばタブーの事件について、表現は抑えているとはいえ、極めて著名な作家が作品の中で意見表明しているのに対し、今の日本でそういう作家はいるのかなと思ってしまった。
(たぶん、そういう作家がいても出版社で止めるとか、掲載を見合わせるとかいう忖度が働くのでしょうね)
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