カズイスチカとは、Casuistica(ラテン語で臨床記録)のことで、鷗外は東京大学医学部卒業後、陸軍の軍医になる間、実際に開業医の父の仕事を手伝ったことがあるらしく、その時の父の様子や患者を診たエピソードが綴られている。
鷗外の父、森静男は、名前の通り、荒々しい言動や立身出世を望むぎらぎらした感じはなく、病人を診るのに疲れると、煎茶を飲みながら盆栽を見るぐらいが道楽だったらしい。
ただ、鷗外は、医学の知識も十分でない父を馬鹿にする気持ちはなく、堅実な生活を続ける父を一種の尊敬の気持ちをもって、近くから見ている。
取り上げられている臨床記録も一風変わっており、顎が外れた青年、破傷風になった少年、一人暮らしの女の妊娠というもので、それぞれ、「落架風」、「一枚板」、「生理的腫瘍」というユーモアを感じさせる漢字で名づけられている。
一体医者の為めには、軽い病人も重い病人も、贅沢薬を飲む人も、病気が死活問題になっている人も、均しくこれ Casus(症例)である。Casusとして取り扱って、感動せずに、冷眼に視ている処に医者の強みがある。しかし花房(鷗外)はそういう境界には到らずにしまった。花房はまだ病人が人間に見えているうちに、病人を扱わないようになってしまった。そしてその記憶には唯 Curiosa(好奇心)が残っている。
どれも明治期の普通の人々の暮らしが垣間見えるように丁寧に描写されており、医者にはなり切れなかった小説家の鷗外しか書けなかった記録と言ってもいいかもしれない。
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