2020年10月5日月曜日

不思議な鏡/森鴎外

これも、ユーモアに溢れた小説である。

昼の役人としての仕事(鷗外は陸軍の軍医総監だった)と、夜の小説家としての仕事を掛けもちしていた鷗外に、ある日異変が起きる。

鷗外の魂が肉体から抜けだして(幽体離脱というやつ)、どういう訳か、当時はやっていた自然主義文学(現実を赤裸々に描く作風)の作家たちが集まっている会合に呼び寄せられてしまったのだ。

田山花袋、島崎藤村、島村抱月、徳田秋声、正宗白鳥といった層々たる顔ぶれ。
しかもその会合には、彼らの小説に熱狂していると思われる若い書生や束髪(明治時代以後、流行した婦人の洋髪)の女性、労働者たちも、ひしめいている。

会場には大きな鏡が設置されており、鷗外の魂はその鏡面に吸い込まれているのだが、会場にいる人たちは、鷗外の魂が鏡にあることを認識しているらしく、さかんに鷗外のことを噂している。

この噂の内容が、自然主義文学愛好者の人たちの視点が分かって、面白い。
「情というものがない」「翻訳はうまいと評判だが、文章が長い」「臆病で誤訳を恐れている」「夜寝ないのは変人だ」「奥さんの小説も書いてやる」などなど。

ここで、田山花袋が、鷗外に「一つ近作を朗読してくれ」と無茶ぶりをする。
鷗外は「原稿を持ってきていない」「朗読は下手だ」と言っても、田山は「思ったものが紙に映る」「上手なお喋りなど期待していない」と、なかなか容赦しない。

会場がざわつき始め、やじも飛び出すなか、田山が休憩を宣言すると、魂は突然、役所で紙に印鑑を押そうとする鷗外の体に戻る…という物語だ。

ある種の悪夢のような話だが、自然主義文学愛好者の品の無さの描写などを見る限り、鷗外は、明らかにこのシチュエーションを楽しんでいる。

田山花袋は鷗外より十歳年下で、作風から言っても、森鴎外と、あまり接点がないように思っていたが、日露戦争の時に記者として従軍した際、鷗外と知見を得ていたらしい。
(田山花袋の描写も、巨大な頭とか、柄にもない優しい声とか、明らかにからかっている)

こういう小説を読むと、鷗外の大人の余裕というものを感じる。

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