主人公の藤次郎という二十歳の青年が、継母にいやがらせを受ける様子が描かれている。
女中、飯炊き男、戦前の裕福な家庭には、家族以外の人たちも同居しており、その中で一種の社会が形成されている。
ある女中が、継母に冷たくされている藤次郎に同情し、優しくする。
優しくするといっても、恋愛的なものではない。
部屋の拭き掃除をしたり、病気でご飯が食べられないお菓子を買ってきてあげたりする程度。
藤次郎は、その女中の気遣いに駄賃を渡すが、継母は「今から手なづけて置くのだね」と皮肉る。
藤次郎が頼んだわけでもなかったが、お風呂で背中を流した女中に、継母は「若旦那の裸が見たいのだろう」といびり、女中は泣いてしまう。
(このあたりは、時代感覚だろうか。女中とはいえ、お風呂に入ってきて、真っ裸のまま、背中を流してもらう行為は少し一線を越えているような気もする)
意を決した藤次郎は父親に直訴するが、父親は家族に波風を立てたくないため、見て見ぬふり。
物語は「一家のものは同じような争いを繰り返していくのである。」と、ある種、絶望的な感じで終わる。
谷崎潤一郎の「神童」でも、後妻が先妻が産んだ長男をいじめる場面が出てくるが、むしろ、いじめる後妻の美しさや、その後妻に取り入ろうとする主人公(長男の住み込み家庭教師)の悪人としての喜びが書かれているのとは対称的で、鷗外の筆は、当たり前と言えばそれまでだが、藤次郎に同情するトーンで書いている(この物語が、水彩画家である大下藤次郎の実話に基づいているということもある)。
日本の家族関係は崩壊していると言われて久しいが、こういう、わずらわしい、人をどこまでも落ち込ませる人間関係は真っ先に無くなってほしいと思う。
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