羽鳥千尋という秀才の学生の病死を悼む作品なのだが、いかにも明治時代の空気が感じられて興味深く読んだ。
第一に、家計に余裕がなく病身の母を抱える群馬県出身の羽鳥が医者になるため、書生として置いてくれないかと鷗外に手紙を書いていること。
明治は地方の優秀な人材がむらむらと湧き出て中央に進出し、立身出世を目指した時代であったが、まずは東京で成功した先駆者を頼り、その書生となるのが近道だったに違いない。いきなり、押しかけた者もいたろうが、羽鳥千尋のように自己アピールを手紙にしたためるという方法もあったに違いない。
第二に、羽鳥千尋の秀才は、手紙の中で、あくまでも、早く亡くなった軍人の父に代わって、彼が医者となって病身の母や幼い妹を養っていくためにアピールされているということだ。
自身が「家長」となって森家を守ってきた鷗外にとっては、その秀才ぶりもその動機と努力も、まるで自分の過去を見たような気分だったに違いない。
第三に、羽鳥千尋が書いた手紙の終わりのくだりが印象的だ。鷗外を説得しようと気力をふるって夜通し手紙を書き、もう明け方になろうとしている羽鳥家の様子が描かれているのだが、いかにも旧家の日本間の光景が描かれている。
男爵が亡き父に送った掛け軸、赤い九谷の花瓶、虫の喰った万葉集、松と鴉と牡丹が描かれた襖、鴨居に掛けられた大額の書。
そして、群馬のいかにも田舎の雄大な光景。
筆を棄てて縁側に出る。見渡す限り青田である。半里の先きに、白壁や草屋が帯のように横たはっているのが玉村で、其の上に薄紫に匂っているのが秩父の山々である。村の背後を東へ流れる利根川の水の音がごうつと響いている。
彼が亡くなってしまった後の家族のその後がどうだったのか、気になるところだ。
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