2020年9月27日日曜日

妄想/森鴎外

秋、海辺の別荘で、森鴎外が朝の散歩をしながら、水平線から立ち昇ってくる日輪を見る。

鷗外はそれを見ながら生と死を考え、そして、過去の自分に思いを巡らす。

二十代、ドイツ留学時の「全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内にはかつて挫折したことのない力を蓄へていた時」。
それでいて、夜眠れない時、自分のしていることが、生の内容を満たすに足るか疑問に思い、ただ、舞台の上の役を勤めているに過ぎないのではないかと疑念にかられる。

自然科学では解けないこの悩みを、若い鷗外はハルトマンの無意識哲学に答えを探すが、見つからない。

やがて、留学を終え、日本に帰ってきても、鷗外は「失望を以て故郷の人に迎へられた」と感じる。(そんなはずはないのだが)

鷗外がそう感じる理由は、合理性のない改革に悉く反対したからだ。
東京の建物の高さを一定にして整然としようとする改革案に、「そんな兵隊の並んだような町は美しくは無い」とか、沢山牛肉を食わせるより「米も魚も消化の良いものだから日本人の食物はそのままがよかろう」とか、仮名遣い改良の議論も、そのままがよいと反論した。
ほとんど理にかなった反論であるが、「洋行帰りの保守主義者」と自身を揶揄している通り、鷗外の出世にはマイナスに働いたらしい(明治三十二年には小倉の軍医部長に左遷?されている)。

鷗外は、「自分はこのままで人生の下り坂を下っていく。そしてその下り果てた所が死である」ことを感じながら、ゲーテの箴言「いかにして人は己を知ることを得べきか。省察を以てしては決して能はざらん。されど行為を以てしては或は能くせむ。汝の義務を果さんと試みよ。やがて汝の価値を知らむ。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。」という境地、「日々の要求を義務として、それを果たしていく」ことに精神の拠り所を求めようとする。

この告白文(鷗外の自分の人生や死に対する思い)を読んで驚いたのは、今読んでも、ひどく共感できるところが多いということだ。

明治の偉人としての悩みではなく、常識的な考えを持った大人が人生の半ばを過ぎたときに感じる誠実な諦観のようなものをそこには感じる。

しかし、この作品を書いた時、鷗外はまだ四十九歳なんだけどね。人生六十年の時代だった頃は、もう晩年だったのでしょうね。

2020年9月26日土曜日

ながし/森鴎外

主人公の藤次郎という二十歳の青年が、継母にいやがらせを受ける様子が描かれている。
女中、飯炊き男、戦前の裕福な家庭には、家族以外の人たちも同居しており、その中で一種の社会が形成されている。

ある女中が、継母に冷たくされている藤次郎に同情し、優しくする。
優しくするといっても、恋愛的なものではない。
部屋の拭き掃除をしたり、病気でご飯が食べられないお菓子を買ってきてあげたりする程度。
藤次郎は、その女中の気遣いに駄賃を渡すが、継母は「今から手なづけて置くのだね」と皮肉る。

藤次郎が頼んだわけでもなかったが、お風呂で背中を流した女中に、継母は「若旦那の裸が見たいのだろう」といびり、女中は泣いてしまう。
(このあたりは、時代感覚だろうか。女中とはいえ、お風呂に入ってきて、真っ裸のまま、背中を流してもらう行為は少し一線を越えているような気もする)

意を決した藤次郎は父親に直訴するが、父親は家族に波風を立てたくないため、見て見ぬふり。

物語は「一家のものは同じような争いを繰り返していくのである。」と、ある種、絶望的な感じで終わる。

谷崎潤一郎の「神童」でも、後妻が先妻が産んだ長男をいじめる場面が出てくるが、むしろ、いじめる後妻の美しさや、その後妻に取り入ろうとする主人公(長男の住み込み家庭教師)の悪人としての喜びが書かれているのとは対称的で、鷗外の筆は、当たり前と言えばそれまでだが、藤次郎に同情するトーンで書いている(この物語が、水彩画家である大下藤次郎の実話に基づいているということもある)。

日本の家族関係は崩壊していると言われて久しいが、こういう、わずらわしい、人をどこまでも落ち込ませる人間関係は真っ先に無くなってほしいと思う。


2020年9月23日水曜日

百物語/森鴎外

百物語とは、多勢の人が集まって、蝋燭を百本立て、一人が一つずつ化物の話をして、一本ずつ蝋燭を消して行く。百本目の蝋燭が消された時、真の化物が出るということらしい。

この作品も怪談めいたものかと思って読んだが、全く違っていた。
簡単に言うと、森鴎外が催し物(百物語)に参加するため、屋形船に乗り、見知らぬ人々を観察し、屋敷に着いて、催し物の始まらないうちに帰ってしまうだけの物語だ。

鷗外が不機嫌だったのか、何かしら気分が沈んでいた時なのか、とにかく底流に彼の不機嫌さというか、周りの人々との見えない壁というか、すれ違いを強く感じさせるものがある。

その痕跡は至るところに溢れている。

この百物語に誘ってくれた写真を道楽にする男は鷗外の文学を理解しておらず、屋形船の人々の話は白々しく聞こえ、船を降りる際には、自分が履いた下駄は無くなり、歯が斜めにすり減ったものしか残っておらず、屋敷に着いてすれ違ったお酌の女に声をかけても無視され、百物語の主催者の自分に対する挨拶もそっけない。
(下駄については後日、主催者から参加者に新しい下駄が送られたが鷗外には送られなかった)

そういった出来事のせいなのか、鷗外は肝心の百物語についても、にべもない。

…百物語は過ぎ去った世の遺物である。遺物だと云っても、物はもう亡くなって、只空しき名が残っているに過ぎない。客観的には元から幽霊は幽霊であったのだが、昔それに無い内容を嘘き入れて、有りそうにした主観までが、今は消え失せてしまっている。怪談だの百物語だのと云うものの全体が、イブセンのいわゆる幽霊になってしまっている。それだから人を引き附ける力がない。

では、鷗外は何を目的にこの催し物に参加したのかと言いたくなるが、彼は、この催し物を企画した主催者 飾磨屋の主人(鹿島清兵衛がモデル)とその妾さんである太郎(鹿嶋ゑつがモデル)に興味を持つ。
というか、一種の意趣返しのような意地の悪い観察を始めたといった方がよいかもしれない。

鷗外は、二人を見て「病人と看護婦のようだ」と評しているが、これも何かしら悪意を感じる言葉である。

その隠すことのできない悪意のせいなのか、鷗外は突然、自身を”傍観者”だという感情を漏らし、その”傍観者”的気質が飾磨屋の主人にいかにもあるかのように、不自然な共感を抱いている。

僕は生まれながらの傍観者である。子供に交って遊んだ初から大人になって社交上尊卑種々の集会に出て行くようになった後まで、どんなに感興の湧き立った時も、僕はその渦巻きに身を投じて、心から楽んだことがない。僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、役らしい役をしたことがない。高がスタチスト(端役)なのである。…そう云う心持になっていて、今飾磨屋と云う男を見ているうちに、僕はなんだか他郷で故人に逢うような心持がして来た。傍観者が傍観者を認めたような心持がしてきた。

しかし、飾磨屋の主人を評した次の言葉は、悪意そのものと言っていいだろう。

こんな催しをするのは、彼が忽ち富豪の主人になって、人を凌ぎ世に傲った前生活の惰力ではあるまいか。その惰力に任せて、彼は依然こんな事をして、丁度創作家が同時に批評家の眼で自分の作品を見る様に、過ぎ去った栄華のなごりを、現在の傍観者の態度で見ているのではあるまいか。 

そして、太郎についての次の感想は、もはや嫉妬としか思えないレベルである。

あれは一体どんな女だろう。…傍観者は女の好んで択ぶ相手ではない。なぜと云うに、生活だの生活の喜びだのと云うものは、傍観者の傍では求められないからである。そんなら一体どうしたと云うのだろう。僕の頭には、又病人と看護婦と云う印象が浮んで来た。女の生涯に取って、報酬を予期しない看護婦になると云うこと、しかもその看護を自己の生活の唯一の内容としていると云うこと程、大いなる犠牲は又とあるまい。そうして見ると、財産でもなく、生活の喜でもなく、義務でもなく、恋愛でもないとして考えて、僕はあの女の捧げる犠牲のいよいよ大きくなるのに驚かずにはいられなかったのである。

一見同情しているかのようにも思えるが、恋愛ですらないと言い切っているところがすごい。

そして、最後の文章が決定的である。

傍観者と云うものは、やはり多少人を馬鹿にしているに極まっていはしないかと僕は思った。

私には上記のようにしか読めなかったのだが、皆さんはどうでしょう。

2020年9月22日火曜日

ワカタケル/池澤夏樹

 池澤夏樹が編集して取りまとめた日本文学全集の01番として収められている 池澤夏樹自身が現代語訳した「古事記」。

その「古事記」に出てくる「オホハツセ」、第二十一代雄略天皇こと、ワカタケルを主人公にした小説である。

しかし、読み終わると、このワカタケルは本当に主人公なのだろうかという疑問が湧いてくる。物語前半は、名前の通り、猛々しいワカタケルが、謀略をもって、彼の競争者たちをみな殺しにし、大王の地位に登りつめるまでを描いているが、彼が重要な判断を迫られる場面で影となってコントロールしているのは、夢見る力(予知能力のような力)を持つ女たち、ヰトや大后となるワカクサカなのだ。

物語後半になり、ワカタケルの力が衰え、国家を暗愚な方向にさし向けようとした時、その影の力は遂には表となり、大后となるワカクサカ(さらに言えば、その背後にいるヒミコ)は、ワカタケルに大王の地位からの退場を求め、譲位を迫ることになる。

そして、悲劇が起きた後の始末、ワカタケルとワカクサカに留まらず、心に傷を負った犬の余生まで心を配るのもヰトが行っている。

ワカタケル亡き後の次の大王探しも女たちが担う。葛城氏出身のイヒトヨが女王となり穏やかな治世を行う一方、ヰトはワカタケルが謀殺した従兄のイチノヘノオシハの遺児を探し出し、彼らは大王の後継者となる。

ワカタケルの血統を、十五代ホムタワケから最悪の大王となった二十五代ワカサザキまでを振り返り、葛城氏の女たちの血統が柱となっていたと指摘している点も、結局は女たちが作りあげた物語であるということを暗示しているかのようだ。
(今、女性宮家の存続や女系天皇で騒いでいること自体、こうした過去を振り返ると、ほとんど無意味な議論にすら思えてくる)

池澤夏樹は「古事記」という容れ物をうまく使って、古墳時代の人々を生き生きと描くことに成功している。

天皇と治世の関わり方に数多くの和歌を引用している点も、文字の力に触れている点も、男と女の交わりを明け透けに描いている点も、そして「古事記」から引用された数々のエピソードとその底流にある思想(負けた側への同情の思い)に基づいている点も、ほとんど完璧と言っていい。この小説を読むことで「古事記」の重要な点はほとんど理解できる内容になっている。素晴らしい。

ヤマトタケルの8代後、厩戸皇子(聖徳太子)や推古天皇の10代前。まだ、政権の中枢には大伴氏や物部氏がいて、蘇我氏の勢力が小さかった頃。
今上天皇は126代。日本の歴史は振り返ると本当に長い。

(山岸凉子の「日出処の天子」や「青青の時代」、「ヤマトタケル」を読んだ人には特にお勧めです)

2020年9月20日日曜日

羽鳥千尋/森鴎外

羽鳥千尋という秀才の学生の病死を悼む作品なのだが、いかにも明治時代の空気が感じられて興味深く読んだ。

第一に、家計に余裕がなく病身の母を抱える群馬県出身の羽鳥が医者になるため、書生として置いてくれないかと鷗外に手紙を書いていること。

明治は地方の優秀な人材がむらむらと湧き出て中央に進出し、立身出世を目指した時代であったが、まずは東京で成功した先駆者を頼り、その書生となるのが近道だったに違いない。いきなり、押しかけた者もいたろうが、羽鳥千尋のように自己アピールを手紙にしたためるという方法もあったに違いない。

第二に、羽鳥千尋の秀才は、手紙の中で、あくまでも、早く亡くなった軍人の父に代わって、彼が医者となって病身の母や幼い妹を養っていくためにアピールされているということだ。
自身が「家長」となって森家を守ってきた鷗外にとっては、その秀才ぶりもその動機と努力も、まるで自分の過去を見たような気分だったに違いない。

第三に、羽鳥千尋が書いた手紙の終わりのくだりが印象的だ。鷗外を説得しようと気力をふるって夜通し手紙を書き、もう明け方になろうとしている羽鳥家の様子が描かれているのだが、いかにも旧家の日本間の光景が描かれている。

男爵が亡き父に送った掛け軸、赤い九谷の花瓶、虫の喰った万葉集、松と鴉と牡丹が描かれた襖、鴨居に掛けられた大額の書。

そして、群馬のいかにも田舎の雄大な光景。

筆を棄てて縁側に出る。見渡す限り青田である。半里の先きに、白壁や草屋が帯のように横たはっているのが玉村で、其の上に薄紫に匂っているのが秩父の山々である。村の背後を東へ流れる利根川の水の音がごうつと響いている。

彼が亡くなってしまった後の家族のその後がどうだったのか、気になるところだ。 

2020年9月19日土曜日

鼠坂/森鴎外

日露戦争後、文京区の鼠坂という「鼠でなくては上がり降りが出来ない」という意味で名づけられた急こう配の坂の上に建てられた邸宅での話。

その邸宅の主人は深淵という日露戦争の際、満州に酒を漁船で運び利を得た成金で、その晩、二人の客と酒を飲んでいる。

一人は平山という支那語の通訳をやっている男で、もう一人は小川という新聞記者。

深淵の話は、深淵と平山の中国での苦労話から、小川の話に移る。
それは、酒と肉では満足しない「今一つの肉」を要求する性質である彼が、中国遼陽と奉天の間の十里河という村で犯した強姦殺人事件だった。

深淵の話に気分を悪くした小川だったが、酒に酔ってしまった彼は深淵の邸宅で用意された部屋で眠ってしまう。

やがて小川が目覚めると窓は真暗なのに部屋には薄明かりが差している。
正面の壁を見ると紅唐紙で「立春大吉」と書かれた書の「吉」の字が半分に裂けている。

そして、その切れ紙のぶらさがっている下には、彼が殺したはずの女が仰向けに寝ていることに気づく。
顔は見えないが下顎が見えて右の口角から血が糸のように一筋流れている...という物語だ。

森鴎外には珍しく合理的に説明がつかない怪奇ものの小説である。
もう一つ興味深いのは、国内ではひどく評判がいい日露戦争における日本人の中国の民間人に対する暴力を描いているということだ。

このような話が実話としてあったのか分からないが、森鴎外自身は日露戦争に従軍している。
ただ、彼がこの犠牲になった中国人女性に同情している感情というものは伝わってこず、むしろ、戦地で勝ち馬に乗っかってこのような暴行を働いた民間人を罰したいという気持ちが、このような怪奇ものを書かせたのかもしれない。

鼠坂って、こんな処らしいです。


2020年9月15日火曜日

心中/森鴎外

これも、作中、森鴎外、本人らしき人物が出てくる。
その本人が女中から聞いた話である。

ある料理屋の二階で女中、十四五人が寝ている。
雪が降った寒い夜、目が覚めてしまった女中二人が憚り(便所)に行こうとする。
しかし、憚りは二階から遠い処にある。
梯子を下りて、長い、狭い廊下を通っていかなければならない。
途中、庭の竹のさらさらと擦れ合う音が怖かったり、石灯籠が白い着物を着た人がしゃがんでいるようにも見える。
左の方には茶室のような四畳半の部屋があり、女の泣き声が聞こえるという作り話のようなことを言う者もいる。

便所の前には、一燭ばかりの電灯が一つ附いているが、それが宙に浮かんでいるように、途中の廊下は暗黒である。

行く途中、二人は「ひゅうひゅう」という奇妙な音を聞く。
最初は便所からするものだと思っていたその音が、実は四畳半の部屋から聞こえてくることに気づく。
意を決した女中が襖を開けると、そこに見えたものは...という物語だ。

結末はタイトルを見れば何となく想像がつくと思うが、私は何と言っても、この便所までの遠い道のりに、とても懐かしさを覚えた。
昔ながらの日本家屋に住んだことがある人なら覚えがあるだろうが、なぜ、あんなに便所は遠いのだろう。
風の強い寒い夜、目覚めてしまって、暗い冷たい廊下を歩く時間の長さを感じながら、ざわざわと騒ぐ風の音に何となく恐怖感を覚える。

この作品を読んで、その感覚を久々に思い出した。

2020年9月14日月曜日

蛇/森鴎外

森鴎外が明治四四年(一九一一年)、四十九歳の時に書いた短編小説。

鴎外と思しき主人公が信州の山の中の豪家に泊まった時の話で、実話かどうかわからない。

作者が蚊が寄ってきて眠れないでいると、女の独り言のような話し声が聞こえる。
ふっと現れた豪家の番頭のような爺さんと若い主人が、その家(穂積家)で起きた事を話し始める。
先代の主人の妻が亡くなって四十九日目であること、その姑と今の主人の美しい妻との折り合いが悪かったこと(もっぱら美しい妻に原因があるように書かれている)、姑の初七日の日に妻が線香を上げようとしたところ、仏壇に蛇がとぐろを巻いていたこと、それを見た妻が発狂してしまったこと。

そして、鴎外は、その蛇はまだ居るのかと爺さんに聞き、仏壇に居座っている蛇を素手で取り上げ、持参していた魚籠に入れてしまう…という物語だ。

面白いのは、蛇を始末した結果、妻の様子がどう変わったとかの説明はなく、ただ、主人と爺さんに、東京の専門の精神科医に見てもらったほうがいいと助言するところで、物語が終わるところだ。
(魚籠に入れた蛇をどうしたかも何も書いていない)

怪奇小説という訳でもないこの終わり方が面白い。

鷗外のような実務的かつ医学者にとっては、妻が姑の呪いに狂ってしまったとか、蛇が姑の怨念を示しているといったオカルトティックな考えはあり得ないものだったのだろうか。(夏目漱石が書いた同じタイトルの「蛇」とは実に対照的だ)

一方でリアリティを感じてしまうのは、やはり、嫁姑の不仲に対する鷗外の考え方だろう。鷗外が実は年下の美しい妻にどういう思いを抱いていたか、そこはかとなく伝わってくる。

県庁の指示で、学者である森鴎外を宿泊させる地方の有力者の家という背景も、明治時代を感じさせて面白い。

2020年9月13日日曜日

鷗外 闘う家長/山崎正和

山崎正和氏が三十代後半に書いた作品(1972年)で、明晰な文章が冴えわたっている。

森鴎外の人生、生き方を、彼の作品とともに、夏目漱石や永井荷風の作品、生き方と比較しながら分析していて、とても読み応えのある本だ。

山崎氏は、森鴎外を明治国家の負託に応えながら、同時に彼の家族からの期待に応えてきた生まれながらの「家長」であったことを、その特質として挙げている。

家長というと、よく言われる戦前の亭主関白、家庭における独裁者のイメージもあるが、鷗外の場合は、家族個々人の気持ちや要求、バランスに、痛々しいぐらい気を遣う、ある意味、現代的とも言えるような父の役割だった。
対外的に「外づら」が良くても、家族に対しても「内づら」のよい性格であったことは、明治の男性としては稀有な存在だったに違いない。

そして、国家と家庭からの二重のプレッシャーを受けながら、責任を投げ出さず自暴自棄にもならず、常に良き官僚、良き父の体裁を保ち続けていたことが、非常に苦悩の多い孤独な人生であったことに触れている。

山崎氏の指摘で面白いのは、森鴎外が、そういった場面場面に応じて切り替えて、臨機応変に有能な官僚と父の「演技」をすることができたのは、明治から昭和初期の作家にありがちな胃病や肺病とは無縁の健康体であったことと、運動神経が良かったことを挙げ、夏目漱石(胃病を苛み、家族に対しては不機嫌であった)と比較している点だ。

驚くべきことは、森鴎外が、自分の仕事の話や文学の話、人生上の突っ込んだ問題に至るまで、家族全員にオープンにして、これらが森家の家庭内の話題になっていたということだ。
この習慣は、現代の家族と照らしても稀有なことではないかと思う。

本書では、森鴎外の代表作である数々の作品の文章も引用され、そこに隠れている森鴎外の思考の特質を焙り出しているが、「舞姫」が世間に非常に誤解されて読まれているという指摘は非常に面白かった。

数多くの優れた作品群を生み出し(翻訳数も非常に多い)、仕事も家庭も充実していた人生のようにみえる森鴎外が、晩年、自分と現実世界が疎遠になる感覚を、日常の諸事とつきあうことで、なんとかやり過ごして行くことに努力していたという指摘は、何となく分かるような気がする。

それでも、鴎外は背負い続けてきた家長という責任を捨てることもなく、彼自身に似た存在であった渋江抽斎の家族の歴史を、家全体の生物学的な盛衰を見つめるという意味で「渋江抽斎」という作品にまとめるあたりは、鬼気迫るものを感じた。

森鴎外という、少しとっつきにくい明治の偉人の内面を深く知ることが出来る良書だと思う。