1979年の小説家としてのデビュー直後の1981年、フィッツジェラルドの「マイ・ロスト・シティー」から始まり、以来、36年間、80弱の作品を翻訳し続けている。
小説家で、これほどの数の翻訳をこなしたのは、森鴎外以来ということらしいが、彼の仕事の実績のおかげで、日本の出版界において海外文学がこれだけ裾野を広げたと言っても過言ではないだろう。
特に、日本ではそれまで評価されてこなかったフィッツジェラルド、アメリカでも殆ど知られていなかったレイモンド・カーヴァーをいち早く見つけ、こつこつと翻訳し続け、地道に日本のファンを獲得していったことは素晴らしいことだ。
原作者の魅力というより、まず、村上春樹の文章を読みたいという読者が多かったからだろう。(私もその一人です)
小説家としても翻訳者としても実力がついてきた50代以降から、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」、レイモンド・チャンドラー の「ロング・グッドバイ」と、大物作品の翻訳に取り掛かっているところも、周到な仕事の進め方だと思う。
この本の前半では、翻訳本のカバーの写真とともに、村上春樹が自作に関するコメントを述べており、後半では、彼の翻訳のチェック作業を支援してきた柴田元幸との翻訳談義が収められている。
読んでいて、なるほどなと思った箇所を取り上げてみる。
(村上)
逐語的には訳は間違っていないし、論旨もいちおう通っている。でも、翻訳の文章を読んでいて、「え?」と思って、もういちど読み返すことがあるじゃないですか。これはいったいどういうことだろう、何が言いたいんだろう、と。そういうのはやはりまずいですよね。どんなに難しい内容でも、一回読んで内容がいちおうすっと頭に入るというのが、優れた翻訳だと思うんです。読者をそこでいったんストップさせてはいけない。流れを止めてはいけない。
(村上)ちなみに、村上春樹は、研究社のオンライン辞書を使っているらしい。
...八〇年から始めて、これでもう三十六年間、延々飽きずに翻訳しているわけです。これだけ長く翻訳していると、そのあいだにやっぱりいろんな大事なことを学びます。たくさんの本を翻訳しているのですねえと、よく驚かれるんですが、他の作家があんまり翻訳を手がけないということのほうが、僕にとってはむしろ不思議でならないですね。翻訳作業というのは、小説家にとってこんなに豊かな知の宝庫なのに。
...いつも言うんだけど、翻訳するというのは、なにはともあれ「究極の熟読」なんですよ。写経するのと同じで、書かれているひとつひとつの言葉を、いちいちぜんぶ引き写しているわけです。それも横のものを縦にしている。これはね、本当にいい勉強になります。
http://kod.kenkyusha.co.jp/service/
有料のようだが、1年に一冊辞書を買うよりも、たくさんの辞書が利用できるので、高くはないかもしれない。
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