2014年4月7日月曜日

カフカの時計/レイモンド・カーヴァー 村上春樹 訳

レイモンド・カーヴァーの詩集「ウルトラマリン」に、カフカの手紙をそのままのかたちで詩に再現した作品がある。

手紙なのに、詩になっているという不思議さとともに、カフカの一日の時間の感覚が感じられて、とても面白い。
(原文)
Kafka’s Watch
                           from a letter
I have a job with a tiny salary of 80 crowns, and
an infinite eight to nine hours of work.
I devour the time outside of the office like a wild beast.
Someday I hope to sit in a chair in another
country, looking out the window at fields of sugarcane
or Mohammedan cemeteries.
I don’t complain about the work so much as about
the sluggishness of swampy time.  The office hours
cannot be divided up!  I feel the pressure
of the full eight or nine hours even in the last
half hour of the day.  It’s like a train ride
lasting night and day.  In the end you’re totally
crushed.  You no longer thing about the straining
of the engine, or about the hills or
flat countryside, but ascribe all that’s happening
to your watch alone.  The watch which you continually hold
in the palm of your hand.  Then shake.  And bring slowly
to your ear in disbelief. 

(村上春樹 訳)
カフカの時計
                             書簡から
私の得た職はサラリーがわずかに八〇コロナというもので、
永遠とも思える八時間から九時間、働きます。
私は会社の外では、野獣のように時間をむさぼり食います。
いつか外国で、椅子に座って、窓の外に見える
さとうきび畑や、イスラムの墓地なんかを
眺めることができたらなあと思います。
私は仕事に文句があるというよりは、ぐずぐずと流れる
時間がいやなのです。仕事時間というのは、分割することが
できません! いちにちの最後の半時間にだって、
私はまるまる八時間か九時間ぶんの重みを、
ひしひしと肩に感じるのです。それはまるで夜も昼も
列車に乗っているような感じです。そのうちにあなたはとことん
うんざりしてしまうでしょう。あなたはエンジンの奮闘ぶりや、あるいは
窓の外の丘陵や平野に思いをめぐらすことも
やめてしまうでしょう。起こることすべてが時計のせいに
思えてきます。あなたはいつも時計を
手のひらに握りしめます。それを振ってみます。そして信じられないという
顔つきで、ゆっくりと耳に持っていくのです。

カフカの一日を思うと、彼にとって仕事とは本当に「ぐずぐずと流れる時間」であり、「夜も昼も列車に乗っているような感じ」だったに違いない。そして、その疲れを感じながら、夜明けまで熱心に小説を書き続けた姿が思い浮かぶ。

カフカにとっての一日は、思わず時計を振って耳にあててしまうほど、あっという間に終わってしまうものだったのだろう。

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