2014年4月5日土曜日

自転車と筋肉と煙草/レイモンド・カーヴァー 村上春樹 訳

村上春樹が訳したレイモンド・カーヴァーの短編集を読んでいる。

全体的な傾向として、夫婦の関係の中でのダメ男(旦那)の話が多いが、この「自転車と筋肉と煙草」は、父と子の関係の中でのダメ男(父)の話だ。

ハミルトンは、息子の友達の母親から、呼び出しを受ける。

息子が別の少年たちとその友達の自転車を乱暴に扱い、無くしてしまったのだ。

話し合いの中、少年たちは、自分が悪くないことを主張するが、ハミルトンは、悪さをした別の少年の父親が自分の息子の言うことだけを信用し、その他の少年に罪を押しつけようとする態度に腹を立てる。

そして、ハミルトンが、その父親に乱暴に肩を手で払われたことをきっかけに、子供たちの前で取っ組み合いの喧嘩になる。

喧嘩の後、ハミルトンは自分の父親がかつて、カフェで激しい喧嘩をしたことを、こんなふうに思い出す。
彼についての多くのことを思い出すことができた。でも今の彼にはそのたった一度の殴りあいだけが、父親のすべてであるみたいに思えた。
そして、ハミルトンの喧嘩をみて少し興奮した子供は、寝るときに彼にこんなことを言う。
「ねえ父さん、こんなこと言ったら僕の頭がおかしいと思うだろうけど、僕は父さんが小さかった頃に知りあえたらよかったのになあって思うんだよ。ちょうど今の僕と同じくらいの歳の父さんにさ。
でもうまく言えないんだけどさ、そう考えるとすごく寂しくなるんだ。なんていうか――そう考えただけで、もうそれだけで父さんを失ってしまったような気がするんだ。」
この台詞を読んで、ずいぶん前に、この小説を読んだことに気づいた。
その時も、この子供のようにせつない思いをしたような気がする。

カーヴァーの小説は、時に、物語そのものより、その時の情景や空気感が強く心に残る。

0 件のコメント:

コメントを投稿