2014年4月12日土曜日

憑物語/西尾維新

西尾維新の連作小説「物語シリーズ」は、怪異(この世のものではないもの、化物)に悩まされる少女と出会い、これを助けようとする主人公 阿良々木暦の物語だ。

この阿良々木 暦自身、吸血鬼の眷属として、半分吸血鬼と化しており、完全ではないが一定の不死身性を持っている。物語では、かなり血なまぐさい戦闘シーンが出てくるが、そもそも不死身性がないと化物と渡り合うことができないのだ。

この物語の最初のシリーズでは、忍野メメというアロハシャツ姿の中年の男、ただし怪異の専門家が登場する。
彼の立ち位置が面白い。 彼は物語上、阿良々木暦や少女たちを助ける立場に回ることが多いのだが、完全に味方にはならない。彼が重んじるのは、常にバランスなのだ。
(人は勝手に助かるだけ というのが彼の口癖)

被害者的立場にいるなど、まっとうな理由がある場合や、敵が強すぎる場合は手を貸すが、少女たち自身に怪異化する原因がある場合には、非情なまでに手を貸さない(反対に、 阿良々木暦は常に情に動かされ、助ける)。

そんな忍野メメの行動は、作者 西尾維新の視点と言ってもいいのかもしれない。
「物語シリーズ」では、随所で、阿良々木 暦とその少女たちを他愛もない冗談や疑似恋愛行為で、さんざんにふさけちらすが、根幹の部分では常にクールというか、常識的な視点を失っていないような気がする。

例えば、戦場ヶ原 ひたぎは、忘れたくなるような嫌な過去を、「重し蟹」という怪異に預けたせいで、自らの体重を失う。

羽川 翼も自分の嫌な部分、ストレスをブラック羽川という怪異に切り離し、さらに嫉妬心を「苛虎」という虎の怪異に切り離す。しかし、その怪異が暴走したせいで彼女はその怪異と対決せざるを得なくなり、最後には自分に受け入れ、同化したせいで、髪が白髪まじりとなる。

八九寺 真宵も、迷い牛(蝸牛)の怪異として、阿良々木 暦と出会うが、成仏したにもかかわらず、暦と一緒にいたいがために、この世に居続けてしまったせいで、「くらやみ」というブラックホール的なものの標的となってしまう。

神原 駿河も、悪魔に願い事をしたばかりに左手が猿の手に化してしまう。

千石 撫子にいたっては、恋人を作った阿良々木 暦に嫉妬したことから、自分の妄想で、蛇神を作り、自ら神様になり、阿良々木 暦と忍野忍を何度も半死状態になるまで痛めつける存在になってしまう。(囮物語が一番怖いというか、救いようのない物語のような気がする)

原因はすべて彼女たち自身にある。因果応報。

そして、この「憑物語」では、そういった少女たちの怪異と戦うため、吸血鬼の怪異性を利用してきた阿良々木暦が、鏡に姿が映らなくなってしまうという奇病をかかえてしまう。

つまり、今まであまりにも吸血鬼化した際の不死身性(忍野忍の存在を含む)を利用したため、本当に吸血鬼化し始めてしまうという物語だ。

彼は、影縫 余弦というS気味の武闘派 女性陰陽師にその助けを求めるが、むしろ、吸血鬼性を自制なく利用し続ける暦自身が彼女が殺すべき相手であると告げられる。

「自然に逆らって、奇異な状態(生きた肉体のように振る舞う霊的存在)にいつまでも留まることは、周囲のすべてを腐敗させるものになる」

は、エリアーデが、吸血鬼の幻想小説「令嬢クリスティナ」の中で、若干9才の美しい少女 シミナが性的に堕落してしまった原因を説明している言葉だが、この「物語シリーズ」における怪異にも当てはまる言葉のような気がする。

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