2014年4月29日火曜日

わが悲しき娼婦たちの思い出/ガルシア・マルケス

題名からして、どこか悲しげな物語なのかと思って読んだら裏切られた。

冒頭の一文からしてすごい。
「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝にしようと考えた。」

新聞のコラムニストである九十歳の主人公が、娼家のマダムに頼み込み、処女の女の子を用意してもらい、素裸で寝ている十四歳の少女のそばで、一緒に寝たり、歌を歌ったり、物語を読み聞かせたり、キスをする。性的能力はもはやない。
それどころか、彼女とのまともなコミュニケーションもない。
ただ、そばで一夜を過ごすだけ。

しかし、それだけで老人は恋の力を得て、精神的に若返っていく。
自分のコラムに臆面もなく、その子への思いをラブレターとして書いたりして、周囲の反響を呼ぶ。

この老人の恋は、娼家で起きた殺人事件をきっかけに危機に陥るが、最後まで少女を諦めない。

物語の最後、満九十一歳の誕生日を迎えた朝の主人公の意識は、とてもポジティブだ。

「これで本当の私の人生がはじまった。私は百歳を迎えたあと、いつの日かこの上ない愛に恵まれて幸せな死を迎えることになるだろう。」

まるで騙されたような気持ちになるけれど、あり得ないとも言い切ることもできない。

このへんが、マルケスのマジック・リアリズムなのだろうか。

2014年4月25日金曜日

NHKスペシャル シリーズ 廃炉への道 第2回 誰が作業を担うのか

福島第一原子力発電所の廃炉作業。

放射能の危険が伴うし、防護服を着て行う作業は、かなりの重労働に違いない。

この作業に従事してくれる人々のおかげで、福島第一原発事故の小康状態が保たれている。

しかし、この重要な作業の給料単価が、1日当たり4000円も下がっているという。

原因は、東電が廃炉作業の発注を、競争入札方式に変えたことが原因らしい。
(東電自体、経営環境が厳しいのだろうから、やむを得ないとも思う)

東電も、作業環境の改善や労務単価の引き上げなど、要員確保に向けた対策に乗り出したようだが、この廃炉作業の業界は、多重下請構造になっているため、東電が労務単価を1万円値上げしても、元請け(ゼネコン)→ 一次請け → 二次請け → 三次請け…と仕事が下りてくる段階で、数千円から数百円に減額されてしまうらしい。

危険と隣り合わせで、給料まで安いというこの状況で、誰がこの仕事に魅力を見出すというのか。

番組では、除染は国が発注元のため、直接作業者に手当として1万円支給できている実態を説明していたが、仕事の重要度を考えたら、廃炉作業も、国が発注元になり、早急に労働環境の改善を図るべきだ。

廃炉作業は今後40年かかると言われているが、日本はまだその入口に立ったところだ。
それにもかかわらず、原発事故から3年経ち、作業者の確保が難しくなっているという。
原子力産業への就職希望が事故後は三分の一まで落ち込んだらしい。

さらに深刻なのは、下請業者が今後、廃炉作業を受注することについて、5割弱が消極的な姿勢になってきていることだ。

また、日本の今後の少子化により、作業者数は右肩下がりで減少していく予想になっているらしい。それに、作業者の線量限度というものもある。

日本では2020年には燃料デブリの回収が始まる予定になっている。
この回収は、スリーマイル原発の廃炉作業の時にも、技術的にも熟練した作業者を多く必要としたらしい。

回収作業においてより困難を極めると予想されている福島第一原発では、さらに多くの熟練した作業者が必要となるだろう。

こういった状況を考えると、40年間の廃炉作業を支える人々をいかに確保するかを、国は真剣に考えなければならない。

多くの人々が就職したいと思うような労働条件とインセンティブが必要だ。

チェルノブイリの事例では、国主導で平均の1.5倍の給与と、手厚い健康管理体制が整備されており、国から作業者に配布される感謝のメダルも紹介されていた。

何より、作業者の方が、自分たちの行っている仕事がとても重要であるということを、日々実感できるように、日本社会全体が彼らを継続的に注視し、その業績を価値あるものと認めるように変化していくことが重要だと思う。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0425/

2014年4月20日日曜日

NHKスペシャル シリーズ 廃炉への道 第1回 放射能"封じ込め" 果てしなき闘い

東日本大震災で、3つの原子炉がメルトダウンするという世界最悪レベルの事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所。

その廃炉作業は40年かかると言われている。

番組では、その廃炉の道のりを説明していた。

廃炉のためには、今も高レベルの放射能を放出し続けている燃料デブリ (debris…破片、屑のこと)を原子炉から取り出し、頑丈な容器に閉じ込めなければならない。

そのためには、原子炉格納容器を水に浸し(冠水させ)、高レベルの放射能を遮蔽し、燃料デブリを取り出す作業ができる状態にしなければならない。

そして、そのためには、原子炉格納容器内に入り、燃料デブリの状況を観測できるロボットを開発するとともに、今も汚染水が漏れ続けている破損した原子炉格納容器から水が漏れないよう補修する方法を見つけなければならない。

そして、そのためには、人がロボットを持って、格納容器に近づけるよう、高濃度の放射能が観測された原子炉格納容器の周辺部分を除染しなければならない。

原子炉格納容器を冠水させる予定が2019年。今から5年後のことだ。

そこから、20年かけて燃料デブリを回収し、さらに15年かけて、原子炉や建屋を解体する。

番組では、スリーマイルズ原発事故時の燃料デブリの取り出し作業を取り上げていたが、福島第一原子力発電所より燃料棒の損傷が少なかったにもかかわらず、様々な困難があったことが紹介されていた。当時の技術者がコメントしていたが、福島の場合の作業の困難さは測りしれないとのことだった。

また、廃炉作業の妨げにもなる増え続ける汚染水を減らすため、原発敷地前のきれいな地下水を汲み上げ、海に放出することについても取り上げていた。

地元の漁師の方々は、今までの東電の信頼できない対応のせいもあり、かなり風評被害を気にされていたが、最終的には、廃炉作業を遅らせないために、東電の申し出に同意していた。

漁師のリーダーの人が言っていた「同じ福島で起きていること。東電の対応は他人事ではない。運命共同体だ」というコメントが心に残った。

この原発事故の収束無くして、福島が、そして日本が本当の意味で復活することはおそらくない。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0420/index.html

2014年4月19日土曜日

Surfbank Social Club/一十三十一

一十三十一(ひとみとい)

まるで、若い大貫妙子のような声

それが、山下達郎と松任谷由美の世界を歌っている、このアンバランス感




80年代っぽい音楽がいい

こんなアーティストがいたんだ

2014年4月18日金曜日

天国で下僕になるよりは…

ミルトンの失楽園

サタンは、天上界で数万の天使を率いる大天使だったが、神と対等になろうと戦いを挑み、敗北して地獄に落ちた

そのときのサタンの言葉

「天国で下僕になるよりは、地獄で頭になるほうがまし」

魂の自由

私はたぶん天国で下僕になる生き方より、地獄で頭になる生き方のほうが好きだ

2014年4月14日月曜日

ろくでもなく僕ひとりで/レイモンド・カーヴァー 村上春樹 訳

レイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)の詩集「ウルトラマリン(Ultramarine)」に、Companyという詩がある。

(原文)
This morning I woke up to rain
on the glass. And understood
that for a long time now
I've chosen the corrupt when
I had a choice. Or else,
simply, the merely easy.
Over the virtuous. Or the difficult.
This way of thinking happens
when I've been alone for days.
Like now. Hours spent
in my own dumb company.
Hours and hours
much like a little room.
With just a strip of carpet to walk on.
 (村上訳)
今朝、窓を打つ雨音で、
目を覚ました。そして思った、
長いあいだずっと僕は、もし選ぶことが
できたなら、いつも自堕落なほうの道を
選んできた。あるいはただ、
単に、簡単なほうの道を。
高潔な道じゃなくて。困難な道じゃなくて。
こういう風な考えが頭に思い浮かぶのはだいたい、なん日も
ひとりきりでいたあとのことだ。
たとえば今みたいに。なん時間も、
ろくでもなく僕ひとりで、過ごしたあと、
まるで、ちっぽけな敷物ひとつ
しかない、小さな部屋みたいな、
なん時間もなん時間も。
短い詩だけど、 レイモンド・カーヴァーらしい詩である。
こんな思いにかられることは、どんな人でも人生どこかのタイミングで巡ってくる。
ただ、ふつうの人は、こんな正面から直視しない。
こんな空気からはやく逃げ出すために、別の行動に、別の考えに逃げる。

この詩を読むと、カーヴァーが何にもない部屋の虚空に目を投じながら、
自分の感情を我慢づよく観察している姿が私には思い浮かぶ。

2014年4月13日日曜日

一億人の英文法/大西泰斗

NHKの「しごとの基礎英語」を3月まで、ずっと見ていた。
放送時間が短い割には、結構、役に立つ内容だったというのが私の感想。

とくに、講師の大西さんが、よく言っていた「英語はこころ」という言葉が非常によかった。

個人的な話だが、この放送中に、海外の取引先との契約交渉で、期限内に不完全ながらも契約締結を済ませたことを夜遅くにメールで連絡してくれた相手に、私は、あれはどうなっていますか、これはどうなっていますかと質問しそうになった。

でも、はたと立ち止って、こんな夜中まで約束の期限を守ってくれた相手に言う言葉は何が適切かを考えてみた。

私は、質問の文書を削除して、「貴社が契約締結を期限までに間に合わせいただいたことを、とても感謝しております」ということばに変えた。

「英語はこころ」

こころを動かして言葉を話すというのは、英語だけではないと思う。
しかし、日本人の場合、英語を使って話す相手は、もちろん、グローバルな人々だ。

そんな自分とは異なる文化にいる人々と、よいコミュニケーションを取るためには、なおさら、気持ちを動かして相手のことを考える必要があるということに気づかせてくれた大西さんのことばだった。

という訳で、彼の著書「一億人の英文法」を今更ながらに読んでいる。

3月中旬に買って読んでいるのだが、ようやくあと数十ページのところにきた(まだ読み終わらない(・_・。)

言い訳がましいことを言うと、絵は多いし、読みやすいのだが、内容がすごく濃いのだ。
個人的に今まで読んだ英文法の本としては、桁外れに内容が充実している。

特に、ネイティブの心の動きが説明されているところが非常に良い。
これまで英語って何でこんなに不規則なんだろう?という疑念は、私の場合、この本のおかげで、だいぶ解消されたと思う。

英語、特に英文法が苦手な人にはお勧めの本だ。


2014年4月12日土曜日

憑物語/西尾維新

西尾維新の連作小説「物語シリーズ」は、怪異(この世のものではないもの、化物)に悩まされる少女と出会い、これを助けようとする主人公 阿良々木暦の物語だ。

この阿良々木 暦自身、吸血鬼の眷属として、半分吸血鬼と化しており、完全ではないが一定の不死身性を持っている。物語では、かなり血なまぐさい戦闘シーンが出てくるが、そもそも不死身性がないと化物と渡り合うことができないのだ。

この物語の最初のシリーズでは、忍野メメというアロハシャツ姿の中年の男、ただし怪異の専門家が登場する。
彼の立ち位置が面白い。 彼は物語上、阿良々木暦や少女たちを助ける立場に回ることが多いのだが、完全に味方にはならない。彼が重んじるのは、常にバランスなのだ。
(人は勝手に助かるだけ というのが彼の口癖)

被害者的立場にいるなど、まっとうな理由がある場合や、敵が強すぎる場合は手を貸すが、少女たち自身に怪異化する原因がある場合には、非情なまでに手を貸さない(反対に、 阿良々木暦は常に情に動かされ、助ける)。

そんな忍野メメの行動は、作者 西尾維新の視点と言ってもいいのかもしれない。
「物語シリーズ」では、随所で、阿良々木 暦とその少女たちを他愛もない冗談や疑似恋愛行為で、さんざんにふさけちらすが、根幹の部分では常にクールというか、常識的な視点を失っていないような気がする。

例えば、戦場ヶ原 ひたぎは、忘れたくなるような嫌な過去を、「重し蟹」という怪異に預けたせいで、自らの体重を失う。

羽川 翼も自分の嫌な部分、ストレスをブラック羽川という怪異に切り離し、さらに嫉妬心を「苛虎」という虎の怪異に切り離す。しかし、その怪異が暴走したせいで彼女はその怪異と対決せざるを得なくなり、最後には自分に受け入れ、同化したせいで、髪が白髪まじりとなる。

八九寺 真宵も、迷い牛(蝸牛)の怪異として、阿良々木 暦と出会うが、成仏したにもかかわらず、暦と一緒にいたいがために、この世に居続けてしまったせいで、「くらやみ」というブラックホール的なものの標的となってしまう。

神原 駿河も、悪魔に願い事をしたばかりに左手が猿の手に化してしまう。

千石 撫子にいたっては、恋人を作った阿良々木 暦に嫉妬したことから、自分の妄想で、蛇神を作り、自ら神様になり、阿良々木 暦と忍野忍を何度も半死状態になるまで痛めつける存在になってしまう。(囮物語が一番怖いというか、救いようのない物語のような気がする)

原因はすべて彼女たち自身にある。因果応報。

そして、この「憑物語」では、そういった少女たちの怪異と戦うため、吸血鬼の怪異性を利用してきた阿良々木暦が、鏡に姿が映らなくなってしまうという奇病をかかえてしまう。

つまり、今まであまりにも吸血鬼化した際の不死身性(忍野忍の存在を含む)を利用したため、本当に吸血鬼化し始めてしまうという物語だ。

彼は、影縫 余弦というS気味の武闘派 女性陰陽師にその助けを求めるが、むしろ、吸血鬼性を自制なく利用し続ける暦自身が彼女が殺すべき相手であると告げられる。

「自然に逆らって、奇異な状態(生きた肉体のように振る舞う霊的存在)にいつまでも留まることは、周囲のすべてを腐敗させるものになる」

は、エリアーデが、吸血鬼の幻想小説「令嬢クリスティナ」の中で、若干9才の美しい少女 シミナが性的に堕落してしまった原因を説明している言葉だが、この「物語シリーズ」における怪異にも当てはまる言葉のような気がする。

2014年4月8日火曜日

民法改正の今 中間試案ガイド/内田 貴

民法改正について、法制審議会に諮問(有識者に意見を求めること)がなされたのは、2009年10月のこと。それから、中間的な論点整理が2011年4月に公表され、パブリックコメント(広く公に、意見・情報・改善案などのコメントを求める手続)に付された。

その後も、法制審議会のもと、各分科会で審議され、2013年2月に中間試案がまとめられ、パブリックコメントに付された。

現状としては、改正要綱案の取りまとめに向けての審議を行う第3ステージまで進んでいるが、今回の改正対象が広範囲に及ぶことから、慎重な審議を行うということで、現時点でも、いつ民法改正法案が国会に提出されるかの時期は未定ということらしい。
(今、さんざん騒いでいる憲法問題も、これくらい丁寧にやってほしい)

本書では、東京大学法学部教授を経て、現在、法務省参与として、民法改正の作業に携わっている内田 貴さんが、民法改正 中間試案を比較的わかりやすく解説している。

民法は、大きく、5つのブロックで構成されている。
今回の改正は、債権法の改正とも言われるが、以下の改正部分をみると、総則の一部にも手を入れる一方で、債権編でも手を入れない部分もある。
第1編 総則(人、物、民法全体の基本事項)
      第5章 法律行為
      第7章 時効 
第2編 物権(所有権や抵当権など)
第3編 債権(契約など)

      第1章 総則
      第2章 契約
      第3章 事務管理
      第4章 不当利得
      第5章 不法行為
第4編 親族(婚姻、離婚、親子など)
第5編 相続(遺産分割、遺言など)
時効でいうと、短期消滅時効(飲み屋のツケ1年とか、学習塾の授業料2年とか、医者の診療報酬債権3年)を、のきなみ廃止するつもりらしい。ただ、現在の一般債権10年の時効も長いので、さらに3年~5年という時効期間を設けることも検討しているらしい。

それと不法行為の20年は除斥期間(当事者の援用がなくても裁判所が職権で判断できる)という解釈を止めて時効という解釈に変えるらしい。

債権譲渡に関しては、債務者をインフォメーション・センター(債務者に債権譲渡の情報を集約)とする現在の第三者対抗要件は、債務者に過大な負担を強いているとして、金銭債権は債権譲渡登記制度に一元化する案や、債務者の承諾を第三者対抗要件から削除する案が提示されている。

法律行為でいうと、錯誤に関しては、判例で一定の場合に認めてきた「動機の錯誤」を、表現を改め、「目的物の性質、状態その他の意思表示の前提となる事項の錯誤」という考えに変えるらしい。

その他、危険負担を解除に一本化して条項を削除するとか、売買の瑕疵担保責任に、代金減額請求権を規定するだとか、消費貸借契約や寄託契約を、要物契約から諾成契約に変えるなど、使い勝手がよくなるかどうかはともかく、確かに結構変わるなという印象を受けた。

中間試案では、まだ具体的な条文案が提示されていないが、普通の人が条文を読んで意味が分かるようになると確かにいいですね。(それって当たり前?)

繰り返しになるけれど、国民の生活に影響を与えるルールを変更するときには、相当の時間をかけて徹底的に議論すべきなのだ。

何故、そういう法改正をしたのか、その趣旨は、効果は、メリット・デメリットは、代案はなかったのか、イレギュラーなケースにも対応できるのか等を徹底的に議論して、なおかつ、パブコメまで行っておけば、後日、なぜこんな改正を行ったのか、国民に対して説明しやすいのは言うまでもないだろう。

最上位の憲法を改正する際に、このような手続きを踏まないことの方が、よほどおかしい。

2014年4月7日月曜日

カフカの時計/レイモンド・カーヴァー 村上春樹 訳

レイモンド・カーヴァーの詩集「ウルトラマリン」に、カフカの手紙をそのままのかたちで詩に再現した作品がある。

手紙なのに、詩になっているという不思議さとともに、カフカの一日の時間の感覚が感じられて、とても面白い。
(原文)
Kafka’s Watch
                           from a letter
I have a job with a tiny salary of 80 crowns, and
an infinite eight to nine hours of work.
I devour the time outside of the office like a wild beast.
Someday I hope to sit in a chair in another
country, looking out the window at fields of sugarcane
or Mohammedan cemeteries.
I don’t complain about the work so much as about
the sluggishness of swampy time.  The office hours
cannot be divided up!  I feel the pressure
of the full eight or nine hours even in the last
half hour of the day.  It’s like a train ride
lasting night and day.  In the end you’re totally
crushed.  You no longer thing about the straining
of the engine, or about the hills or
flat countryside, but ascribe all that’s happening
to your watch alone.  The watch which you continually hold
in the palm of your hand.  Then shake.  And bring slowly
to your ear in disbelief. 

(村上春樹 訳)
カフカの時計
                             書簡から
私の得た職はサラリーがわずかに八〇コロナというもので、
永遠とも思える八時間から九時間、働きます。
私は会社の外では、野獣のように時間をむさぼり食います。
いつか外国で、椅子に座って、窓の外に見える
さとうきび畑や、イスラムの墓地なんかを
眺めることができたらなあと思います。
私は仕事に文句があるというよりは、ぐずぐずと流れる
時間がいやなのです。仕事時間というのは、分割することが
できません! いちにちの最後の半時間にだって、
私はまるまる八時間か九時間ぶんの重みを、
ひしひしと肩に感じるのです。それはまるで夜も昼も
列車に乗っているような感じです。そのうちにあなたはとことん
うんざりしてしまうでしょう。あなたはエンジンの奮闘ぶりや、あるいは
窓の外の丘陵や平野に思いをめぐらすことも
やめてしまうでしょう。起こることすべてが時計のせいに
思えてきます。あなたはいつも時計を
手のひらに握りしめます。それを振ってみます。そして信じられないという
顔つきで、ゆっくりと耳に持っていくのです。

カフカの一日を思うと、彼にとって仕事とは本当に「ぐずぐずと流れる時間」であり、「夜も昼も列車に乗っているような感じ」だったに違いない。そして、その疲れを感じながら、夜明けまで熱心に小説を書き続けた姿が思い浮かぶ。

カフカにとっての一日は、思わず時計を振って耳にあててしまうほど、あっという間に終わってしまうものだったのだろう。

2014年4月6日日曜日

「危機管理・記者会見」のノウハウ/佐々淳行

佐々淳行が、東日本大震災時の菅内閣の対応を、まず危機管理の観点から検証している。

「重大な事件は、なぜか弱い総理のときに起きる」というジンクスがあるらしい。

確かに、非常事態にかかわらず冷静に対処していた日本市民が世界から称賛されていた一方で、日本政府の対応は今考えても酷いものだった。

本書では、それを「統治能力」の低さと表現しており、危機管理においては、「自分が何を知っているか」「何が出来るか」より、「何を知っている誰を知っているか」「何が出来る誰を知っているか」を知り、官僚を使いこなすことが重要だったことが述べられているが、官僚を使うことを否定し、そもそも官僚の「統治」を否定しようとしてきた民主党政権には無理な話だったのかもれない。

また、東電に不合理な要求(海水注入の停止)をする菅総理と、それを現場にそのまま伝えた東電副社長(上の意向ばかり伺い、適切な判断ができない高級幹部を「金魚の立ち泳ぎ」と言うのだそうです)、そして、その意向を無視し、海水注入を継続した吉田所長を例に挙げ、
現場を知らない上層部の無茶な命令を、現場を預かる指揮官は、握りつぶすぐらいの度胸がなくてないけないと言っているところも面白い。
この吉田所長の独断は、国の事故調でも、問題視されていたが、私の経験からしても握りつぶしたほうが物事が正しく進む場合が多い。

それと、東日本大震災時における政府広報が、①政府(枝野氏ら)、②保安院(審議官ら。次から次へと担当者が変わった)、③東電(会長・社長ら)が、三者三様に異なる見解を述べていたこと(これも酷かったですね)について、ニューヨーク市長を務めたジュリアーニの例を挙げ、危機管理においては、指揮命令や情報とともに、広報も一元化しなければならないことを述べている。

危機発生時の対応方法も参考になる。

優れた指導者は、自分も含めて全員が交代で眠る計画表を作成し、まず、自分が率先して何時間か眠り、みんなを交代で休ませるようにするのだという。
(これを、危機管理上の「ヤマタノオロチ体制」というらしい)

こういった対応をとらないと、全員が起き続けたまま、疲れが蓄積し、冷静な思考ができなくなり、感情的になったり、誤った指示が飛び出す。

「これはもうどうにもならないと思ったことも、一眠りしてから起きてみると、さしたることではないということに気づく」というパウエル元国務長官の言葉が説得力がある。

本書では、危機管理時の記者会見についても述べられている。
何か問題があって発表しなければならないとき、危機管理の担当者が真っ先に作らなければならないのは、「何を発表するか」ではなく、「何を言ってはいけないか」のネガティブリストだという。

このネガティブリストがないまま、記者会見で失言し、社会的な信用を無くした政治家・企業が表になってこの本にも掲載されていたが、確かに「信用を得るには多年の歳月を要するが、これを失墜するのは実に一瞬である」という言葉は言いえている。

なお、本書には、「記者会見の心得十か条」と「武器としてのソフィスト的詭弁術」が掲載されている。

記者会見だけでなく、日常のビジネスシーンでも十分使えそうだが、こういうテクニックだけに溺れてしまうと、やはり人には信頼されず、「小ずるい奴」という印象をもたれることにもなりそうな気がする。

2014年4月5日土曜日

自転車と筋肉と煙草/レイモンド・カーヴァー 村上春樹 訳

村上春樹が訳したレイモンド・カーヴァーの短編集を読んでいる。

全体的な傾向として、夫婦の関係の中でのダメ男(旦那)の話が多いが、この「自転車と筋肉と煙草」は、父と子の関係の中でのダメ男(父)の話だ。

ハミルトンは、息子の友達の母親から、呼び出しを受ける。

息子が別の少年たちとその友達の自転車を乱暴に扱い、無くしてしまったのだ。

話し合いの中、少年たちは、自分が悪くないことを主張するが、ハミルトンは、悪さをした別の少年の父親が自分の息子の言うことだけを信用し、その他の少年に罪を押しつけようとする態度に腹を立てる。

そして、ハミルトンが、その父親に乱暴に肩を手で払われたことをきっかけに、子供たちの前で取っ組み合いの喧嘩になる。

喧嘩の後、ハミルトンは自分の父親がかつて、カフェで激しい喧嘩をしたことを、こんなふうに思い出す。
彼についての多くのことを思い出すことができた。でも今の彼にはそのたった一度の殴りあいだけが、父親のすべてであるみたいに思えた。
そして、ハミルトンの喧嘩をみて少し興奮した子供は、寝るときに彼にこんなことを言う。
「ねえ父さん、こんなこと言ったら僕の頭がおかしいと思うだろうけど、僕は父さんが小さかった頃に知りあえたらよかったのになあって思うんだよ。ちょうど今の僕と同じくらいの歳の父さんにさ。
でもうまく言えないんだけどさ、そう考えるとすごく寂しくなるんだ。なんていうか――そう考えただけで、もうそれだけで父さんを失ってしまったような気がするんだ。」
この台詞を読んで、ずいぶん前に、この小説を読んだことに気づいた。
その時も、この子供のようにせつない思いをしたような気がする。

カーヴァーの小説は、時に、物語そのものより、その時の情景や空気感が強く心に残る。

2014年4月2日水曜日

レイモンド・カーヴァー 作家としての人生/キャロル・スクレナカ 星野真里 訳

村上春樹の翻訳で日本でも有名なアメリカの作家 レイモンド・カーヴァー(享年五十歳)の人生を描いた作品である。

私個人は、カーヴァーは、小説よりも詩のほうがまだ好きといえる程度の読者だ。

彼の小説に見られる、幸福とも裕福ともいえない主人公たちの生活感がにじんだ雰囲気、そして、流麗な台詞もないどちらかというと朴訥な言葉づかい、物語の終わりも不条理で不安定な気持ちが残るという、その感覚がどうしてもなじめないのだ。

しかし、なにげなくこの本を本棚からとってしまったのは、カーヴァーとはどんな人物なのか、多少なりとも興味があったからに違いない。

何日かかけて苦労して読んだ。
苦労したという思いがするのは、カーヴァーの人生がまさに苦難に満ちていたものだったからかもしれない。

ハイスクール卒業後、若くして結婚し子供をもうけるが、カーヴァーも妻のメアリアンも向学心が強く、二人は働きながら大学に通おうとする。

時間とお金のない生活苦。同じく困窮する身内との金銭的なしがらみ。将来への不安。妻への嫉妬。破産。小説を改ざんする強権的な編集者。アルコール依存。離婚。肺がん。

精神的に落ち込んだ時期も少なくなく、幸福な時期は死を迎えるまでのとても短い時間しかなかった。

しかし、人生の苦難のほとんどを経験しながら、何を犠牲にしても小説を書くことを最優先にしてきたところは彼の揺るぎのない強さだったと言えるかもしれない。

というか、彼の頭の中には常に書くことへの執念、書かずにはいられないという思いがあった。
これが、小説家になる必須要件ということなのだろうか。

改めて、小説を書くのは決して楽なことではない。
そう感じさせられた。