2012年7月5日木曜日
いやらしさって…
谷崎潤一郎の小説には、性的な事柄を取り扱ったものが多い。
なかには、かなりきわどいものがあって、「青塚氏の話」などは、その代表例だろう。
女優を妻に持つ映画監督の夫が、彼が製作した妻が出ている映画を殆どみているという老人に話しかけられる。
その 老人は、映画の映像から妻の体の形を隈なく情報収集し(映画のフィルムのコマまで切り取って盗む)、その情報に基づき、頭で再現するだけでなく、ダッチワイフまで作って変態行為にふけっていたという、ちょっと怖い話だ。
しかし、「青塚氏の話」はちょっと度を越えた部分があるが、個人的な感覚では、谷崎の小説では、殆どが美的鑑賞の域まで高められていたり、いやらしさを突き抜けて、人間の愚かしさ、馬鹿馬鹿しさまで辿りついている作品が多く、本当に、いやらしいと思ったことはない。
それに比べると、村上春樹の小説なんかは、かなり、いやらしいと感じる作品がある。
私の場合、年代別の作品として割と明確に線が引かれており、「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」までが、ぎりぎりのところだろうか。
それ以降の中長編の作品「国境の南、太陽の西」(恋人の従姉と寝る話)や「ねじ巻き鳥クロニクル」(奥さんの浮気告白の話)は、かなり、いやらしいと思う。
(いやらしいというか、若干不愉快?)
自分としては、そういうものを求めて本を読んでるわけではないのに、突然、そういう感情にさせられてしまうところが、正直いやだ。
と、いうことで、残念ながら、話題作の「1Q84」もまだ読んでいない。
もう一人の好きな作家である池澤夏樹さんの小説でも、そういうシーンはあるにはあるが、ずっと抑制が効いていると思うのは私だけだろうか(例えば、「光の指で触れよ」でのマッサージのシーン等)。
この違いは、何なのだろう。やはり、個人的な感覚なのだろうか。
(村上さんのファンの方は、一人の戯言として無視してください)
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