2018年12月9日日曜日

文字渦/円城塔

表紙の「文字渦」がばっと目に入り、書店で思わず手に取ってしまう。
中島 敦の「文字禍」を思い浮かべながら、その美しい表紙を眺める。

その時は気づかなかったが、この本の「渦」は、中島敦の「禍」とは違う。
「禍」は、わざわい、原因の意味であるが、「渦」はうずまきの意なのだ。

この小さな違いを、しかし、この決定的な違いを気づいた人は、この本を楽しめると思う。

その感性は、例えば、秦始皇帝の陵墓から出土した等身大の一万体もの陶俑(人型の像)を眺め、ひとつひとつの像の顔が異なることに気づくのに等しいのかもしれない。

なぜなら、この小説の主人公 俑は、秦の皇帝 嬴から徴用され、専属の陶工として、人々の姿を陶器に写す作業に没頭するからだ。

秦の時代は、象形文字の面影を残す金文から字形の整理が進み、簡潔に枠に収まる小篆が公式書体とされた時代でもあった。

それは、皇帝嬴の意思でもあったが、俑には小篆の文字がよくわからない。
ただの線の入り組みであり、線でしかない。馬という字を見ても馬とはわからず、羊という字は全然羊のようではなかった。岩も川も空も冷たさも皆似たような、同じ太さの線からできており、具象抽象を問わず軽重がなく均質だった。...俑にとっての文字とは、一文字一文字が神聖を帯び、奇瑞を記し、凶兆を知り、天を動かすためのものである。
ある日、 俑は皇帝 嬴から、永遠に存在し続ける「真人」の像を作ることを命じられる。しかも、嬴曰く、それは嬴本人のことなのだ。

一時として同じ表情を宿さない嬴を前にして悩む俑に、嬴は秦の文字(小篆)を参考にせよと言葉をかける。
そして、俑は、宮の一室で一人、文字を造りはじめる。小篆と同じ文字の様式を保ちながらも、異形とも思える文字たち。

その文字たちは、後の発見で、一体の俑(陶工の姿を模した)の足元から見つかった一尺の竹簡一枚に二十文字、百五十枚を編んで一巻として三千文字、十巻で三万文字が記されていたことが分かる。この一見、漢字の進化過程において何の役割も果たさなかった大量の文字群の意味を後世の人々は理解できない。

しかし、この物語を読み終えると、俑が「真人」の本質を理解するまでの試行過程であったことが、そして、その結果として、物語の最後、俑が嬴に答える「真人」の意味が、二千二百年後の世界に生きる私たちにはわかる。

漢字フェチとも言える物語の造りだが、スケールは大きい。中島敦も漢語を多く織り込んだ文章を多用し、大きな物語を造ったが、久々にその格の高い独特の世界観を感じた。

まるで、無数の漢字が頭の中に吹き荒れる感じ。
個人的には好きである。


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