村上春樹が訳したノルウェーの作家ダーグ・ソールスターが書いた11冊目の小説で、18冊目の著書。
まるで型式番号みたいなタイトルは、そういう意味では分かりやすい。
この奇妙な物語を読んだ後に、ぽつんと残るその無機質なタイトルは、この物語の主人公 ビョーン・ハンセンの生き方とシンクロしているような気がする。
彼は、妻と結婚し、息子もいるが、二人を捨て、愛人の後を追い、一緒に暮らすことなる。その愛人との生活も14年で破綻し、今度は、何年も連絡を取っていない息子との同居生活。
破綻することはやむを得ないことなのかもしれないが、家族に対する愛情らしきものが、このビョーン・ハンセンには感じられない。
この作品のすごいところは、このビョーン・ハンセンに本質的に欠けているのではないかと思わせる愛情のなさを実にリアルに描いているところだ。
自分の仕事には常に自信を持ち、周囲の人々とも付き合うことができる社交性はあるが、一方で自分の身近にいる家族に対しては、その弱い部分に対し容赦のない観察力を発揮し、周囲の人々の評価を病的なまでに気にする態度。
例えば、14年も暮らした妻ともいうべき愛人の容色が衰えると、彼は彼女を相手にしなくなる周りの若い男たちの反応を観察する。興業が失敗だった劇の彼女の受け狙いの演技にも容赦のない批判を行う。
成長した学生の息子と同居した際も、彼の甲高い声と一方的な喋り方、日曜はいつも家で一人でいることに着目し、息子には友人が一人もいないのではないかという仮説を立てる。土曜日深夜の帰る時刻も常に決まっていることも、彼には、友人と真に楽しむことができない性格があるのではないかと疑う。
この物語は、ビョーン・ハンセンの常人では理解不能な決断により、意外な結末を迎えるが、読後、私には、奇妙な苛立ちが残った。
それは、認めたくないけれど、自分の中にもこの男のような性質がどこかあるような気がして、自分が嫌になったからかもしれない。
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