その頃、僕は大学生で、遠距離恋愛の彼女がいて、一緒に旅行に行くために芝生刈りのアルバイトをしていた。
しかし、夏の初めに突然彼女から別れを告げられ、お金を稼ぐ必要もなくなった僕は最後の芝刈りの仕事にでかける。
一癖ある中年の女の家で芝刈りは無事終わるが、彼女から彼女の娘と思われる女の子の部屋を見てほしいと頼まれる。
この物語は何度も読み返しているが、芝刈りの手順の説明や、真夏にロックを聴きながら、アイスコーヒーを飲みつつ、芝を刈る雰囲気も好きだ。
しかし、一番の魅力は、この“僕”に共感できるからだろう。
“僕”には、なぜ、彼女が突然別れを告げてきたのかも、女の子の部屋についての中年の女の問いかけも、それに対する自分の回答も、理解できない。
僕はとても疲れていて、眠りたかった。眠ってしまえば、いろんなことがはっきりするような気がした。しかしいろんなことがはっきりすることで何かが楽になるとは思えなかった。はっきりしているのは、唯一、彼の思いを表すことができた「芝生」刈りを何かのけじめのように終わらせなければならないということと、彼が一人ぼっちになるということだけだ。
この喪失感が芝生刈りという労働の疲れと、夏の午後の脱力感と重なっていて、心地よい。
文体も、今の村上春樹からすると、ずいぶんと大味なところもあるが、ほどよく力みが抜けていて、この作品には、ぴったりのような気がする。
最近の「みみずくは黄昏に飛びたつ」の中で、村上春樹自身がこの「芝生」を読み返したくない作品の一つとコメントしているのも面白い。
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