沖ノ島は、福岡県宗像(むなかた)市に属し、九州と大陸の間に横たわる玄界灘のほぼ中央に位置する孤島である。
宗像大社の神領として、島には沖津宮(おきつぐう)が祀られており、女人禁制で、男子であっても入島の際には海で禊をしなければならない。
池澤夏樹が訳した「古事記」でも、沖ノ島の神様は登場する。
アマテラスが弟スサノオが腰に帯びていた剣を三つにおり、水で清めた上で、嚙み砕いて噴き出した吐息から生まれたのが、
奥津島比売命(オキツシマヒメのミコト)…沖津宮に祀られている田心姫神(タキリビメ)の別名
多岐都比売命 (タキツヒメのミコト)…中津宮(なかつぐう)に祀られている湍津姫神(タギツヒメ)の別名
市寸島比売命(イツキシマヒメのミコト)…辺津宮(へつみや)に祀られている市杵島姫神(イチキシマヒメ)の別名
の三女神である。(女神を祀る神領が、女人禁制というのも面白い)
沖ノ島では、4世紀の昔から大陸と九州間の航海の安全を祈る祭祀が行われ、8万点にも及ぶ様々な神宝が埋却されたので、海の正倉院とも言われている。
本書は、この沖ノ島について、藤原新也の写真と文章、安部龍太郎の文章がまとめられているが、共作という訳ではなく、二人の作品は完全に独立している。
藤原新也の作品は、文章で沖ノ島の歴史などを振り返ってはいるが、この人の凄いところは、写真では、そういった先入観に囚われず、全くのプレーンな眼でこの島の姿を切り取っているところである。
人間の弱さや妥協を排除しているような海や岩や木の峻厳な力強さに圧倒される。
宝物の写真も、素朴ではあるが、ずっしりとした重みが感じられる品々だ。
勾玉が胎児の形に似ているとコメントしているが、そう言われると、妙に納得してしまう。
安部龍太郎の作品は、宗像氏四代とその関連する歴史の物語を綴っている。
宗像君速船(はやふね)、三韓征伐
宗像君荒人(あらひと)、磐井の反乱
宗像君徳善(とくぜん)、白村江の戦い
宗像君清麿(きよまろ)、壬申の乱
池澤夏樹の小説「キトラ・ボックス」でも、壬申の乱のエピソードが出てくるが、高市皇子の母親 尼子娘が、宗像君徳善の娘であったということは意外だった。
これだけ、日本の史実に絡んでいたということは、宗像氏の権勢が当時、相当に強かったということなのだろう。
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