2015年10月7日水曜日

職業としての小説家/村上春樹

谷崎潤一郎は、四十八歳の時に、日本の国民に向けて、彼の考える文章の読み書きの要諦を「文章読本」としてまとめ、丸谷才一も、五十二歳の時に、ほぼ同じ趣旨の内容の本を、同じ題名で書いた。

日本語の変化など、日本の社会的環境の変化が、この二人にこのような本を書かせたのかもしれないが、もう一つ共通しているのは、この二人がそれぞれ作家としての地位を確立し、プロフェッショナルな専門家として自信をもって文章について語ることができる時期に、この本を書いたということだ。

村上春樹が今年六十六歳に書いたこの「職業としての小説家」にも、彼のそのような自信を垣間見ることができる。

本書は、まるで小説家を目指す人への指南書のようにも見えるが、表紙の帯にあるように「自伝的エッセイ」という側面が強くにじみ出ている。
・第一章 村上春樹が考える小説家としての資質

・第二章 小説を書こうと思いたったきっかけ

・第三章 「風の歌を聴け」を書いたときに獲得した文体と書き直しのプロセス

・第四章 芥川賞やノーベル賞などの文学賞に対する思い

・第五章 オリジナリティとは何か

・第六章 何を書けばいいのか

・第七章 長編小説の書き方

・第八章 基礎体力をつけることと規則正しい生活の重要性

・第九章 日本の学校・教育がかかえる問題(読書の重要性)

・第十章 登場人物の多様性、一人称から三人称への切り替え

・第十一章 村上作品の海外進出の舞台裏

・第十二章 臨床心理学者 河合隼雄との思い出
という内容なのだが、私が興味を惹かれたのは、「小説の書き方」から若干距離がある第九章と第十一章だった。

 第九章は、日本の教育システムのかかえる問題と関連させて、「原発事故」について語っている。
想像力の対極にあるもののひとつが「効率」です。 数万人に及ぶ福島の人々を故郷の地から追い立てたのも、元を正せばその「効率」です。「原子力発電は効率の良いエネルギーであり、故に善である」という発想が、その発想からでっちあげられた「安全神話」という虚構が、このような悲劇的な状況を、回復のきかない惨事を、この国にもたらしたのです。それはまさに我々の想像力の敗北であった、と言っていいかもしれません。
想像力の対極にあるものが「効率」という視点は、どこか真実味がありますね。

第十一章は、「ニューヨーカー」での作品掲載を足掛かりに、四十代前半の村上春樹が、新人作家のような立場で自ら足を運び、アメリカのエージェント、大手出版社、担当編集者を選び、自分の作品をアメリカで売り込んでくれる営業体制を構築した苦労話が語られている。
欧米での販売チャネルが出来た後、彼の作品を訳してくれる優れた翻訳者が、どんどん増えてゆき、今では五十を超える言語に訳されているという。

明日発表となるノーベル文学賞に毎回ノミネートされる背景には、もちろん村上作品のテクストとしての力があってのことだろうが、上記のような地道な「営業努力」があって、海外での読者層が拡大している環境も大きく寄与しているに違いない。

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