2015年10月11日日曜日

輝ける闇 開高健 /日本文学全集 21

ベトナム戦争をテーマにした作品というと、映画では、キューブリックの「フルメタル・ジャケット」、コッポラの「地獄の黙示録」、小説では、ティム・オブライエンの「ニュークリア・エイジ」 、トマス・ピンチョンの「ヴァインランド」ぐらいしか、浮かんでこない。

(NHKドラマの「夢帰行」でも、べ平連、学生運動に触れた回があったと思う)

面白いことに、この日本文学全集 21で取り上げられた日野啓三と開高健は、日野は読売新聞、開高は朝日新聞の記者として、ベトナム戦争を取材するために南ベトナムに行き、それぞれ、この戦争に影響を受けた小説を書いた。

特に開高健は、米軍が支援する南ベトナム軍に兵士として従軍し、反政府ゲリラの機銃掃射に遭い、大隊200名のうち生き残ったのが17名という死地を経験する。
「輝ける闇」は、彼がその死地を経験するまでの戦争の日常を包み隠さず生々しく描いたものだ。

一見緩慢とした戦争の日常、米軍兵士との交流や、現地でのベトナム人女性との恋人関係、強烈な湿気が全てを海綿のように腐らせてしまう情景を描き続けるその目的は、自らを死地に追いやるための前準備のようにも思える。

客観的にみれば、 開高がこの戦争に従軍する意味はないはずだった。それが日本とベトナム戦争の距離感だったと思う。かかわらず、彼は命の危険を顧みず、自分の身を戦争へと投じた。

日野啓三が日常からはみ出した別の世界を求めていたように、開高も平和な日本では得られない体験を求めていたのかもしれない。

しかし、正直なところ、私はその思いに共感できなかった。

戦争のプロでもない彼が出兵することはお荷物でしかなく、別の兵士が危険に晒され、敵兵も死ぬかもしれない。
たとえ、その死地を経験しなければ書けない文章であったとしても、そうまでする価値が本当にあったのだろうか。

そういった思いが邪魔したせいだろうか、池澤夏樹がいう、この作品は「傑作」という評価には、正直、共感が出来なかった。

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