3月11日という日は、やはり特別な日なのだと思う。
2011年3月11日(金)14時46分。
それを起点にすべてが変わってしまった。
幼い子を津波で亡くした友人、いまだに仮設住宅で暮らす親戚、口には出さないけれど、日々、子供たちを放射能の脅威から守ることに注意を払う姉、故郷に帰ることを諦めた知人、そして、おそらく、あと40年は海水浴もできないだろう故郷の美しかった海。
6号線も常磐自動車道も全線開通はしたけれど、まだ周辺の放射能の影響は無視できない。
遠く離れたドイツが福島の事故を見て、脱原発に舵を切ったというのに、国は停止していた原発の再稼働を積極的に進めようとしている。
ひとたび事故が起これば、自分の家も生活もコミュニティもすべて破壊され、いまだに回復できないというのに。
黙とうの1分間。
いまだに、あの日に思いをよせると、やりきれない悲しみと整理できない怒りが心に湧いてくる。
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