この日本文学全集にあって、「雲のゆき来」は、いわゆる中上級者向けの作品かもしれないと思った。
冒頭、主人公(文学者)の近所にある豪徳寺の古い桜の木から話がはじまり、豪徳寺にあるお墓のひとつ井伊家初代藩主の側室 春光院の幸せな人生に触れる。
そして、主人公は、春光院の「うまく作られた幸福」のような人生の裏返しとして、「うまく作られた不幸」という観念を体現したかのような女性の人生を語ろうとする。
私が中上級者向けという理由は、ここから、作者が、その女性の話をする前に、実に4章も、 春光院の弟で文筆家であり僧侶でもあった元政上人の話を書くからだ。
作者自身、長い周り道と言っているが、この部分で、読むのを諦めてしまう読者もいるのではないか。(私は一旦挫折した)
しかし、じっくり腰を据えて読むと、 日本が江戸時代、いかに中国の影響下にあったか(中華思想)、元政上人の普遍的な教養、異文化の詩人と接触した詩人の影響の段階について、西洋の文学も引き合いに、興味深い文化論・文学論が展開されているのが分かる。
物語が小説的に動き出すのは、第6章からで、主人公は、映画関係の仕事をしている友人の紹介で、ドイツ(ユダヤ)人と中国人のハーフの若く美しい映画女優 楊(やん)と知り合うことになる。
そして、偶然にも彼女の父親が、主人公がかつて交友していた東洋学者であることが分かるのだが、同時に、楊が、母(母以外の複数の女性も)を捨てた父親を深く憎んでいることが、主人公の前で露わになる。
気まぐれな嘘のせいで、主人公は、彼女とともに京都を旅することになるのだが、旅の途中、彼女が美しいだけでなく、かなりの知性を持ち合わせていることが分かる。
そして、彼女は、かつて父親が京都で関係をもった5人の日本人女性に会うことを計画していたことが分かる。
主人公は、楊の計画実行をサポートするとともに、彼女と、元政上人の草庵を巡るなどして、徐々に親密になってゆく。
そして、彼女の父親が関係した日本人女性二人との対面後に、疲れと感情が共鳴し合った二人は、一緒に寝ることになる。
一夜が明け、彼女と別れた後、主人公が訪れたオーストリアの街で、彼女のその後、そして、主人公に残した手紙があることが分かるのだが、あらすじに触れるのはここまでにしよう。
(彼女が「うまく作られた不幸」の体現者であることを考えれば、大よそ察しがつくと思う)
前段で描かれている 元政上人のある意味、地味でストイックながら、普遍的な教養を感じさせる漢詩の世界、そして母親を愛し孝行を尽くした幸福な人生と、
中段で登場する映画女優の美しいけれども、父親を憎む感情しか生きる糧にできず、本当に生命をかける目的を見失っている不幸な人生が、鮮やかに対比されている。
小説としては、 映画女優の話が主なのだろうが、この対比が物語の深みをより増している。
そして後段で、春光院の墓前の前、主人公が惹かれたこの正反対な二人の人生を、長い長い思索の過程を経て、自分の中に溶かし込んでゆく最後は、この物語に落ち着きと安心感を与えている。
不幸な女性というと、辻邦生の「夏の砦」の支倉冬子が思い浮かぶが、この物語で書かれている 楊のほうが、はるかに魅力的だ。
彼女の物怖じしない率直な言動とスキャンダルな異性関係に個人的に魅力を感じたのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿