1949年1月1日から7月15日までの日記は、自殺を仄めかす暗い出だしで始まる。心が離れてしまった妻との関係、不安定な体調、その暗い境遇から逃れるかのように、福永の旺盛な知的活動が日々記録されている。
ラジオでクラシックを聴いたり、ギリシャ語を勉強したり、ヘミングウェイを読んだり。
特に、ヘミングウェイの「日はまた昇る」には感心したらしく、ノートには気に入った文章もメモされている。
It is awfully easy to be hard-boiled about everything in the daytime, but at night it is another thing.
(昼間はすべてにハードボイルドになるのはたやすいが、夜となると話は別だ)
お金はないが、自分で本を買ったり、誰かに頼んだり、借りたりして、暇なし読書をし、体調の良い日はコツコツと小説を書くのを続けていたようだ。
1951年12月10日から1953年3月3日までの日記では、病気の回復期にある福永武彦が、少しずつ、外の社会の接触を回復していくプロセスが描かれている。そして、妻 澄子とは別れ、福永の日記には、谷静子という女性と岩松貞子という女性に対する思いが描かれる。前者は福永の芸術的な感覚を理解できる女性で、後者は福永の面倒を甲斐甲斐しくみてくれる女性(結局、福永は貞子と再婚)。
ナツキ(池澤夏樹)に関する記述も所々見られる。北海道地震にギクッとしたり(実は夏樹は母に連れられ東京に来ていたが知らなかった)、小学就学児童のメンタルテストで品川区の中で一位になったことについて、「やさしい性質らしい」と述べていたり、澄子が池澤喬氏と同居したことで、ナツキに会えなくなることについて気落ちしている。
本の冒頭には、母 山下澄子(原條あき子)にやさしく見つめられる五歳の初々しい池澤夏樹の写真も写っており、失われた三人の家族の関係、その喪失感が伝わってくる。
本の冒頭には、母 山下澄子(原條あき子)にやさしく見つめられる五歳の初々しい池澤夏樹の写真も写っており、失われた三人の家族の関係、その喪失感が伝わってくる。
そういった喪失感を乗り越えて、福永が小説家として本格的に活動していく過程を綴った日記を、池澤夏樹は、福永が好きで読んでいたダンテの「新生」への連想から、「新生日記」と名づけている。
この苦難を乗り越えた小説家としての父を、同業者として客観的に評価しているところが、この本の明るさを醸し出している。
この苦難を乗り越えた小説家としての父を、同業者として客観的に評価しているところが、この本の明るさを醸し出している。
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