小説家 福永武彦氏の1945年から1947年にかけての日記である。
血縁的にみれば、福永武彦氏の長男が、池澤夏樹氏で、その娘が池澤春菜さんということになる。
そういうゴシップ的な要素を無視しても、この日記はかなり読み応えのある内容になっている。
終戦後の混乱期に、文学で身を立てようとしている二十七歳の青年がいる。しかし、彼には北海道の帯広に残した妻(詩人の原條あき子)と生まれたばかりの子供(夏樹氏)もいる。
戦後の物資が少ないことに加え、まだ、小説家としての実績のない福永の執筆生活は困窮する。
居候した親戚の家からも追い出されそうになる。
しかし、就職、食料の確保、金策に奔走しなければならないような生活でも、彼は仕事の計画を立て、東京で成功して、妻と息子を呼び一緒に生活することを夢みる。
やがて、妻が実家で暮らしずらくなってしまい、彼は無職のまま、帯広に帰るが、見つけた借家は火事になり、かろうじて親子三人で暮らせる三畳一間の部屋を借り、中学の英語教師の職を得る。
しかし、その生活も長くは続かず、福永は結核に侵され、療養生活に入る。
残された妻は先行きの見えない生活に精神を病み、夫を責め、自殺を仄めかすようになる。
(歴史にIfはないが、こんなにも生活が困難な時代でなければ、福永一家3人の運命はだいぶ違うものになっていたかもしれない。そして、池澤夏樹氏の文壇への登場の仕方も変わっていたのではないだろうか。)
貧しいながらも明日を夢みていた1945年は口語体で、徐々に生活に絶望の度合いが増しはじめてからは、文語体で、これらの出来事が事細かに連綿と日記として記されている。
戦後の交通事情(汽車で帯広から信濃追分まで3日!)、闇市、進駐軍、配給、停電、食生活、物価、友人からの借金、永井荷風がまだ現役で作品を発表していたこと、当時のインテリ達が考える天皇制の廃止等、戦後の混乱期の東京の様子が記録されているところも、資料的な価値が高い。
福永は、日記を書くことの意義をこう考えていたようだ。彼がいかに優れた小説家になろうと日々努力していたかが垣間見える。
作家にとって一日一日は貴重であり失われたものは帰らないが、日記は書くことのメチエを自分にためす点に効用があるのではない。
現実が一度しか生起せず、それを常に意識し、その一度を彼の眼から独自に眺めるために、小説家に日記は欠くべからざるものであるだろう。
日々の記録として価値があるのではない。小説家の現実と彼が如何に闘いまた如何に自己を豊にしたかにその効用があるのだ。
その日常が平凡でありその描写が簡潔であっても、その日記が詰まらなければ作家である小説家が詰まらないのだ。
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