ニッコロ・マキアヴェッリは、ルネサンス・イタリアの政治思想家で、フィレンツェ共和国の外交官。
その著書「君主論」と「政略論」を中心に抜き出した箴言を、「ローマ人の物語」で有名な塩野七生さんがまとめた本。その冷徹な箴言は心を突いてくるものがある。
たとえば、
一度でも徹底的に侮辱したり、手ひどい仕打ちを与えたことのある者を、重要な任務につかせてはならない。
不正義はあっても秩序ある国家と、正義はあっても無秩序な国家のどちらを選べと言われたら、わたしは前者を選ぶであろう。
人間というものは、恵まれていなければ悩み、恵まれていればいたで退屈する。そしてこの性向からは、同じ結果が生じるのだ
人は、大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、個々のことになると、意外と正確な判断をくだすものである。
どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった
次の二つのことは絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。
他者を強力にする原因をつくる者は、自滅する。
別の人格を装うことは、場合によっては賢明な方法になることがある。
人間というものは、往々にして小さな鳥と同じように行動するものである。
つまり、眼前の獲物だけに注意を奪われていて、鷹や鷲が頭上から襲いかかろうとするのに気づかない。小鳥のように。
人間というものは、困難が少しでも予想される事業には、常に反対するものである。
人間というものは、現にもっているものに加え、さらに新たに得られるという保証がないと、現にもっているものすら、保有しているという気分になれないものである。
誰だって、誤りを犯したいと望んで、誤りを犯すわけでない。
ただ、晴天の日に、翌日は雨が降るとは考えないだけである。
天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。約500年も前の外国人の言葉だけれど、いつの時代も、人間社会の現実というものは、そうは変わらないものなのだろう。
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