この一冊で、レイモンド・チャンドラーの人となり、数奇な人生の全体像が分かるだけでなく、彼の仕事に対する姿勢、作品に対する思い入れ、作家として成長していく過程も分かるという贅沢な本だ。
イギリス人の教養を身につけ、作品の中で、アメリカ、とりわけ、ロサンゼルスの風俗をイギリス人の視点から批評する姿勢が自然とあらわれている作家、会社経営を引退した40代半ばからデビューした遅咲きの作家、一回りも違う年上の人妻と結婚した作家、パイプを咥えているがあまりマッチョな印象はなくむしろ神経質そうに写真に写っている作家。
その程度のアウトラインしか私にはチャンドラーの知識がなかったが、この本では、とりわけ、彼のアイリッシュ・アメリカンという生い立ち、父親不在の家庭環境、イギリスのパブリック・スクール時代に身につけた規律と古典の素養が与えた人格形成まで踏み込み、病気がちで神経質、勉強好きなチャンドラーの少年時代の姿を鮮やかに描き出している。
チャンドラーが様々な仕事を経験した後、石油会社で、会計課員から監査役、副社長へと昇進し、雇っていた弁護士から「ロサンゼルスで最高のオフィス・マネージャーで、おそらく世界でも最高の一人」と評されるほど、有能な経営者であったことも興味深い。
「私は石油事業の会社の役員をつとめたことがある。じっさいは高給をとる社員にすぎなかったが、八つの会社の役員で、三つの会社の社長であった。…」
しかし、内気な自分を元気づけるための酒におぼれ、年上の妻からは得られない愛情を得ようと若い女性社員と不倫関係になり、会社も休みがちとなり、実質、会社を首になってしまう。このとき、チャンドラーはすでに44歳。
会社を首になった後、彼が作家を目指すあたりの様子も面白い。
彼は短編小説の書き方を通信講座で勉強した。
そして、妻を養わなければならぬ45歳の男として、生活のために、粗悪紙で作られたパルプ雑誌といわれる安い大衆紙に、作家として勉強しながら稿料を得る生活を思いつく。
(このパルプ雑誌時代の彼の姿は、「二人の作家」に投影されている)
チャンドラーは、ダシール・ハメットの影響を受け、推理小説を書くことになる。
チャンドラーの作品の魅力は、何といっても洒落た会話にあるが、彼はアメリカの俗語(スラング)を意図的に使い、語順もしばしばでたらめなアメリカ人の会話をおもしろがり、標準英語の文章構造を用いながらも、アメリカ言葉を多用し、彼自身の語法を書き加え、リアルにひびく文章を書くことを目指していた。
チャンドラーの推理小説に対する考えも面白い。
彼は、伝統的な推理小説は、難解な情報を土台としているか、誤解しやすい情報を与えているから、根本的に不正直であると考え、
「ほんとうに正直な推理小説は、読者が謎をとくためのすべての材料が与えられ、重要なことが軽く扱われることがなく、重要でないことが誇大に扱われることもなく、事実そのものによって謎を解決することができ」るものだと考え、アガサ・クリスティーに対しては最大級の侮蔑を抱いていた。
彼の最初の長編「大いなる眠り」の作り方も興味深い。
それは、彼がパルプ雑誌に五年間、書き散らし、「絶滅したドードー鳥のように消え去る運命にあった」短編からみっしりと詰まった素材を救出し、つなぎ合わせ、一つの長編に組み立て直す作り方だった。
(このような小説の書き方は、その後の長編にもみられる。
なお、日本では、村上春樹もこのような長編小説の作り方を行っている)
やがて、チャンドラーの作品が話題となり、その文学的名声がハリウッドへと導くことになる。
ビリー・ワイルダーとのエピソードも面白いが、ここでも、彼は酒と女で失敗する。
フランク・マクシェインも以下のように評している。
「結果からいうと、彼は酒を飲んでいたときに決して第一級の作品を書き上げていない。彼のパルプ小説のすべて、最初の六編の長編(「長いお別れ」まで)、最高のエッセイは彼が飲んでいないで、シシー(妻)と二人だけでの生活を送っていたときに書かれた。
映画のシナリオ、未完の作品(プードル・スプリングス物語)、最後の作品(プレイバック)は彼が撮影所生活にまきこまれ、情事にふけり、あるいはふけろうと考え、そして、酒びたりになっていたときに書かれた。」
ある意味、塗炭をなめる苦しみが晩年の彼にも続いた。
しかし、八十歳近くの病の重い妻を看護し、家事を取りしきり、自身も複数の病気を持ち、夜は不眠症に悩まされながらも、チャンドラーは彼の最高傑作といわれる「長いお別れ」を完成させる。
彼には、午前中をタイプライターに向かって文章を書くというよろこびがあったからだと、フランク・マクシェインは評している。
チャンドラーは、書くことを嫌っている作家の話を聞き、知人にそのことを書いた。
「言葉の魔術による創造に喜びを見出せない作家は、私にとってとうてい作家とはいえません。ものを書くということのために作家は生きているのです。どうして書くことを嫌うことができるのでしょう。」
「結果からいうと、彼は酒を飲んでいたときに決して第一級の作品を書き上げていない。彼のパルプ小説のすべて、最初の六編の長編(「長いお別れ」まで)、最高のエッセイは彼が飲んでいないで、シシー(妻)と二人だけでの生活を送っていたときに書かれた。
映画のシナリオ、未完の作品(プードル・スプリングス物語)、最後の作品(プレイバック)は彼が撮影所生活にまきこまれ、情事にふけり、あるいはふけろうと考え、そして、酒びたりになっていたときに書かれた。」
ある意味、塗炭をなめる苦しみが晩年の彼にも続いた。
しかし、八十歳近くの病の重い妻を看護し、家事を取りしきり、自身も複数の病気を持ち、夜は不眠症に悩まされながらも、チャンドラーは彼の最高傑作といわれる「長いお別れ」を完成させる。
彼には、午前中をタイプライターに向かって文章を書くというよろこびがあったからだと、フランク・マクシェインは評している。
チャンドラーは、書くことを嫌っている作家の話を聞き、知人にそのことを書いた。
「言葉の魔術による創造に喜びを見出せない作家は、私にとってとうてい作家とはいえません。ものを書くということのために作家は生きているのです。どうして書くことを嫌うことができるのでしょう。」
チャンドラーは、最愛の妻シシーを失った後、酒におぼれ、拳銃自殺をはかり騒動を起こした。
周りの人々は彼を心配し、手厚く見守ったが、妻亡き後は、抑制を失ったように酒と女性関係の問題がふたたび生じ、死ぬ間際まで複数の女性に心をふらつかせ、それが原因で、みとる人もなく一人で死んだ。
この本を読んで、レイモンド・チャンドラーに、彼が生み出した私立探偵フィリップ・マーロウとの共通点(文明批評の視点、皮肉の利いた洒落た会話、センチメンタリストであることなど)も感じたが、それよりも強く、「長いお別れ」に出てくる礼儀正しい酔っ払いのテリー・レノックスや、同じく酒びたりのベストセラー作家のロジャー・ウェイドに、人間的な弱さという意味で共通点を感じた。
おそらく友人としては、決して付き合いやすい人ではなかったと思う。
しかし、結婚することになった友人にこんな魅力的な手紙を送ることができる人は、そうはいないだろう。
「ここに健全な忠告をしるしておく。私は知っている。
一 彼女を短い手綱で乗りこなし、決して彼女があなたを乗りこなしてると思わせてはならない。
二 コーヒーがまずかったら、そういわないで、ただ、床に捨てたまえ。
三 彼女に年一回以上、家具の配置を変えさせてはならない。
四 彼女が金を預け入れるのでないかぎり、共通の銀行口座を持ってはならない。
五 争いごとの場合は、つねにあなたの罪であることを覚えておきたまえ。
六 彼女を骨とう品店に近よらせてはならない。
七 けっして彼女の女友だちをほめすぎてはならない。
八 とくに、結婚はある意味で新聞にひじょうに似ていることをけっして忘れてはならない。
あらゆる年のあらゆる日に新しくつくられなければならないのである。」
0 件のコメント:
コメントを投稿