小説に対する興味が一番乾いていた時期に、たまたま巡りあった作家だけに感慨深かった。
私の場合、読者に積極的な関わりを求めてくるコミットメント的な小説は、どちらかというと苦手としているのだが、完全なディタッチメントというのもNGで、どこかに人間味というか、優しさがないと興味が持続しない。
そんなわがままな読者だったが、アントニオ・タブッキの小説の風通しはぴったりだったようで、須賀敦子訳の文章が美しかったこともあるが、何を読んでも精神の心地よさを感じていた。
彼の死を知った気分にぴったりの文章がある。
タブッキが、リスボンを舞台にひとりの新聞記者の物語を描いた「供述によると、ペレイラは…」の一節です。
ペレイラも立ちあがって、見送った。〔友人〕が遠ざかっていくのを見ながら、ペレイラは、なにかなつかしい気がした。まるで、とりかえしのつかない別れだった気がした。
… 彼はとり残された気持ちになり、じぶんがしんそこ孤独に思えた。それから、ほんとうに孤独なときにこそ、〔大切な問題〕とあい対するときが来ているのだと気づいた。
そう考えてはみたのだが、すっかり安心したわけではなかった。
それどころか、なにが、といわれるとよくわからないのだが、なにかが恋しくなった。
それはこれまで生きてきた人生への郷愁であり、たぶん、これからの人生への深い思いなのだったと…
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