2012年3月7日水曜日

立花 隆の著書

自分は、いつから立花 隆の本を読まなくなったのだろうか?

本棚に見え隠れする立花 隆の著書を見ながら、自問する。

宇宙からの帰還、ロッキード裁判批判を斬る、農協、文明の逆説、田中角栄研究、日本共産党の研究、中核VS革マル、脳死、精神と物質…

「知のソフトウェア」を読んでみる。多少古くなっているが、そのノウハウは素晴らしいと今も思う。
「宇宙よ」を読んでみる。所々、熟読してしまうぐらい、内容が面白い。

立花 隆の本を熱心に読み始めたのは1990年頃からで、その頃は、必ず、立花隆のコーナーに行って、まだ読んでいない本を立ち読みしていた記憶がある。

なんとなく、距離感を感じ始めたには「田中真紀子研究」からだろうか。
正直なところ、わざわざ取り上げて書く価値があるのだろうかと思ったし、その頃、書いていた『天皇と東大』も、正直なところ、興味を持てる内容でなかったことも影響していると思う。

盟友の筑紫哲也が死んだことも影響しているせいか、テレビへの露出も減ってしまい、 立花 隆 の言葉を直に聞く機会も減ってしまったような気がする。

しかし、自分にとって決定的だったのは、3.11の後、過去に買った彼の著書を何一つ読み返さなかった(読み返したい本がなかった)ことが大きかったかもしれない。
私の記憶の範囲では、彼が真正面から「原子力発電」や「自然災害」について取り上げた著書はないと思う。

私が3.11の後、真っ先に読み返したのは、池澤夏樹の「楽しい終末」などの著書であり、山岸涼子の「パエトーン」だった。

これは、明らかに 世界観の相違だと思う。

立花 隆が追い求めてきた世界観は、基本的に、科学への揺るぎない信頼であり、前進であり、それに基づいた明るい未来だった。

しかし、自分は、3.11以降、そんな科学への信頼と明るい未来がイメージできなくなってしまったのが、彼の著書から遠ざかった一番の理由ではないかと感じている。

1年ほど前にNHKの番組で、立花隆が自らかかったガンについて、色々調べた結果、完治は無理だと諦めたのをみて、意外な印象を持った。
自らの死をみすえたその後、彼の世界観は変わったのだろうか?

もし、変わったのだとしたら、ふたたび、彼の著書を読んでみたいと思う。

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