2012年1月20日金曜日

蓼食う虫/谷崎潤一郎

昔、丸谷才一が、小学校の国語の教科書に載っている駄文に、ため息をついて、谷崎の「蓼食う虫」
に載っている小父さんから甥への手紙を、しみじみと思い浮かべる文章を読んだ記憶がある。

まさか、「蓼食う虫」にと思う人もいるかもしれない。

「蓼食う虫」は、性的不調和のせいで、夫婦了解の下に、妻が恋人を作り、夫は売春婦のところにいくような夫婦が、離婚までは踏み出せないでいる微妙な状況を精緻に描いた作品なのだから。

しかし、谷崎の文章は、この難しい二人の状況を、よどみなく表現していて、読者は読んでいて、微妙な緊張感がただよう夫婦の姿を、頭の中にくっきりとイメージを思い浮かべることができる。

意味がわからない叙情的、感覚的な文章は一切なく、すべてが即物的と感じるほど明確に表現されている。
(冒頭に上げた、小父さんから甥への手紙も、小気味よい達意の文章である)

また、この作品に描かれている状況は、一見、異質なものに思えるかもしれないが、夫婦関係の微妙な部分を、ある意味、正確に捉えているような気がする。

きっと、男の読者は、主人公の要の心情に共感し、女の読者は、要の妻 美佐子の行動に共感する部分が、いろいろあるのではないだろうか。

しかし、夫婦というのは、本当に不思議な関係ですね。

2012年1月15日日曜日

不機嫌の時代/山崎正和

日露戦争の終結が明治時代の転換期だったことは、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で書いているところですが、山崎正和の「不機嫌の時代」も、 日露戦争後、日本の近代文学者を襲った”不機嫌”という気分を精密に分析しており、非常に興味深い本です。

日露戦争が終結したのは、明治38年(1904年)。

山崎正和は、その戦後といえる明治40年ごろにあって、日本の代表的な文学者であった、20代の志賀直哉、30代の永井荷風、40代の夏目漱石、50代の森鴎外らが、年齢層は異なっていたが、ひとしく”不機嫌”という気分に覆われていたのではないか、という仮説を立て、

・明治維新以来、列強の脅威の中で、ひたすら国家の近代化を全速力で進めるという全国民的目標が、日露戦争の勝利をもって消失してしまったこと、

・夏目漱石や森鴎外の記憶にあった、伝統的な日本の家庭(外の社会に対して開かれていて「公」の要素を多分に持っていた)が、急速な都市化や、男たちの仕事の場が近代化により家庭から切り離されたことなどにより、極端に「私」的な存在に変わり果ててしまったこと、

・「公」という基盤をなくした未熟な自然主義的な感情や、西洋風の社交に代表される環境との不適合から生じる不安と焦燥

など、”不機嫌”が生じた複合的な要因について、森鴎外、夏目漱石、永井荷風、志賀直哉の代表作から多くの文章を引用し、精密に実証していきます。

主人公の会話や行動の裏側、作者が当時置かれた環境を仔細に分析し、異なる作者の作品に共通する要素を探り当てていくあたりは、精神分析的な手法を感じさせる内容となっており、単なる文藝評論とは一線を画している。

この本の最大の収穫は、明治時代の文豪の精神的な危機が現在にも充分通じるものだと感じさせてくれた点にあると、個人的には思っています。

2012年1月14日土曜日

カフカの「失踪者」 その2

カフカの作品の中でも、「失踪者」は、他の作品と比べると読んだ後の気分がずいぶんと違う。

例えば、「審判」や「城」といった作品では、主人公Kに対して、どうしても親近感を覚えることはないけれど(「変身」は微妙)、「失踪者」の主人公カール・ロスマンには、なんとなく応援してあげたくなるような親近感を覚える。

ひとつには彼が、アメリカという新世界のなかで、全面的に弱さをさらけだしているところに心を動かされるのかもしれない。

最終章のオクラホマ劇場の採用試験で、カールが最後の仕事のときに使った通り名「ネグロ」(黒人の意だと思われる)という偽名を名のり、「ネグロ、ヨーロッパの中学出身」として、技術労働者に採用される話などは思わず笑ってしまう反面、 カールがそれまで様々な苦難をくぐり抜けてきたに違いないという思いも過ぎり、いじらしさも感じる。

個人的には、サリンジャーの「ライ麦畑」の主人公以上に、カールの方が魅力的な存在に思えてしまう。

最初に「変身」ではなく、「失踪者」を読んでいたら、カフカの作品に近づく時間は、もっと短かったかもしれない。