非常に短い文章で語られているが、これを書くのに村上春樹氏はどれだけの時間を費やしたのだろうと気になった。
それは文章中に浮かんでくる父親に対しての躊躇いや葛藤がほのかに感じられるからだ。
村上春樹氏は、猫を棄てにいくというエピソードをきっかけに書くことで筆が進んだと言っているが、確かにこの作品は、冒頭と最後に猫に関するエピソードを添えることなくして成り立たなかったように思う。
ただ、ご本人も認めているが、村上春樹氏と父上は、本質的にはかなり似たタイプの人だったことは想像がつく。
安養寺の住職であった祖父の村上弁識(すごい名前)氏が亡くなったとき、家族の期待を退けてその住職の職を引き継がず、自分の家族と生活を最優先した父上の意志は、不和となった父上と二十年以上、音信不通を貫いた村上春樹氏の強固な意志と重なるような気がする。
そして、父上が俳句に情熱を持っていたということも、村上春樹氏に、詩というメンタリティ的な部分で強く影響を与えているような気がする。
村上春樹氏の小説における巧みな比喩は、ある意味、詩的な表現と捉えてもおかしくはない。
この小文でも、高い松の木に登って消えた白い子猫の話を書いており、これは事実ということだが、色々な意味に解釈できる巧みな比喩になっている。
戦争と父、父と息子、その重いテーマを、猫の存在が辛うじて支えているような不思議な印象を持った(珍しく二度読んだ)。
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