「文學界」に掲載された村上春樹の短編「石のまくらに」を、とても面白く思った。
主人公が十九歳の学生だったころに経験したバイト先で知り合った二十代半ばの女性との一夜の関係を書いたものだ。
主人公には別の好きな女性がいて、彼女にも好きな男がいる(ただし、別の女と付き合っている)。
セックス描写が、せきららなのはいつものことだが、面白いのは、彼女には短歌を詠む趣味があるということだ。
主人公が、その歌を聞きたいというと、彼女は、その場で詠みあげるのはためらうが、後日郵送するという。
そして、彼女は、一夜の関係にもかかわらず、本当に歌集を主人公に送ってくる。
自分が作った(凧糸のようなもので綴じた)自費出版ともいえるレベルにない私家版の歌集「石のまくらに」。差出も記さずに。
恋愛の歌もあるが、死のイメージ(斬首)の歌が多い。
主人公は彼女の短歌に心を揺り動かされる。そして、彼女の歌を読みながら、行為をしているときの彼女の体を思い出す。
それから長い歳月が経った今も、主人公は彼女の短歌のいくつかを暗唱し、変色してしまった歌集を持ち続けている。
これは、形式的にみれば、平安朝の男女の関係に似ている。
枕を合わせた男女が、後日、相手を思って詠んだ歌を届ける。
しかし、彼女が本来思いを届けたい男には、別の女がいて叶わない(あるいは短歌には興味がない)。
短歌に興味がないのは主人公も同じだが、一夜の体を求めたその男に、彼女が歌に託した思いが、まったく偶然に突き刺さる。
もちろん、彼女にはそんな予感はない。
互いにもう会うことはないと別れた後に、残った言葉の力。
男は二度と会うことのない女を、歌を通して思い出す。
一つの悲劇といっていいかもしれない。
村上春樹が、まさか、短歌という日本古典文学の王道に沿って、こんな恋愛の形を描くとは。
0 件のコメント:
コメントを投稿