池澤夏樹氏が朝日新聞に掲載しているコラムの2013年4月から2017年12月までをまとめた本だ。
コラムというと、どうでもいいような事を書いて、お茶を濁した文章のことという印象を持たれる方もいるかもしれないが、この本は違う。
ほとんどの文章が、真剣勝負。
読む人が読めば、いかに作者が読者に問いかけ、考えることを促し、場合によっては挑発しているかが感じられる。
時期的にいって、特に多いのが、安倍政権に対する批判だが、この政権がもたらす精神衛生上の不健康さにもかかわらず、これだけ根気よく言葉を尽くして批判を続けるのは相当なエネルギーが必要だと思う。
例えば、沖縄県の基地問題について、
「では、憲法はというと、アメリカがらみの課題について最高裁は『統治行為論』という詭弁によって責任を放棄してしまった。事実上、日米安保条約は日本国憲法の上位にある。行政の頂点には日米合同委員会がある。つまりこの国はおよそ主権国家の体を成していない。そういう事態が六十年以上続いてきた。」
とこの国の現実を説明し、この事態を一掃するための過激な憲法改正案を提示する。
難民の受け入れ問題については、
「他国にならって、ある程度の摩擦と苦労を承知の上で、開国すべき時期ではないのか。人口比で言えば、ドイツの三万一千人に対してこちらは四万八千人ほどになるが、準備はよろしいか。」
と、日本の鎖国状態を痛烈に批判している。
また、震災後の日本を、中東の民主化になぞらえ、
「二〇一一年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。「五年たってみれば、『アラブの春』と一緒で一時の幻想、『災害ユートピア』にすぎなかったように思われる。」
と、原発再稼働や海外への売り込みなど、震災後の日本の進む道に幻滅している。
そして、時に鋭い着眼点にはっとさせられる部分も多い。
たとえば、法人(株式会社)とは、ホモ・サピエンスとは違う知的生命体「ホモ・エックス」であるという認識。種が違い、生きる目的も違うから人倫を求めるのも無意味だという考え。
(この考えに基づくと、企業不祥事の本質が理解できる)
また、震災遺構の存続をめぐる問題では、大川小学校について、作者は遺構は校舎ではなく、裏山そのものだと指摘する。
「見れば、小学生がここを登るのは実に容易だとわかる。なぜこちらに逃げなかったのだ、と地形が問いかける。」
こういう事実をスパッと指摘する新聞記事も少なくなってきたような気がする。
これだけ、欺瞞と嘘があふれている世の中だから、事実に基づいた作者の本音が見える”普通の本”を読むと、へんに新鮮な気持ちになってしまうのは、私だけだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿