2018年6月14日木曜日

冬の夢/スコット・フィッツジェラルド 村上春樹 訳

スコット・フィッツジェラルドの若い頃の短編小説 五編が収められている。

冒頭の「冬の夢」を読むと、まるで村上春樹の短編を読んでいるような気分になった。
我が儘で浮気性の美女ジュディーを愛する青年実業家デクスター。
彼は、彼女に何度も裏切られながらも憎み切れないくらい愛していた。
しかし、別れて数年後、一人の男から彼女のその後の姿を聞くことで、彼が大事にしていた彼女に対する美しい憧憬は喪失してしまう。

この喪失感は、村上春樹の物語ではおなじみのものだ。
それほど悲劇的ではないが、女性の結末が、回転木馬のデッドヒートに収められている「今は亡き王女のための」と、ちょっと似ている。

次の「メイデー」は、仕事を首になり悲惨な境遇にある芸術家志望の青年ゴードンと、彼と大学時代に級友だった裕福な友人たち、ホテルでのダンスパーティーでのかつての恋人との再会などが流動的に描かれる作品だ。

友人に金を借りることをせびるゴードンは、谷崎潤一郎が書いた「異端者の悲しみ」を彷彿とさせたが、このゴードン青年はいたって真面目で、最後まで自らの不幸をぬぐい切れず、本当に悲惨な結末を迎えてしまう。

三つ目の「罪の赦し」は、神に敬虔であるよう躾けられてきた少年が、きらびやかな現実世界の美しさを否定することの誤りに気づき、その軛から解き放たれる物語だ。
これが、「グレート・ギャッツビー」のプロローグとして描かれる予定であったという話は興味深い。

四つ目の「リッツくらい大きなダイアモンド」は、十六歳のジョンが、寄宿進学校で、リッツ・カールトン・ホテルくらい大きいダイアモンドの山に豪邸がある級友パーシーに自宅に招かれる。

そのほとんど信じられないくらい豪奢な邸宅で、ジョンは、パーシーの美しい妹 キスミンと知り合い、恋に落ちる。
しかし、その恋愛をパーシーの父に気づかれ、ジョンは、この館に招かれたゲストの恐ろしい結末を知る...という物語だ。

全体的にファンタジー性が強く、現実離れしたリッチな邸宅の様子を描く場面は幻想的といっていい。
面白いのは、ラストでまるで夢からさめたような現実的な台詞を話すジョンの姿だ。
フィッツジェラルドは、やはりペシミスティックな基調を好む作家なのかもしれない。

最後の「ベイビー・パーティー」は、「メイデー」同様、フィッツジェラルドらしくない作品のように感じた。
ジョンの妻と二歳半の子供が、友人宅で催されたパーティーに参加している。彼が仕事で行くのが遅れている間に、ジョンの子供が起こした行動で、ちょっとしたトラブルが起きる。そのトラブルに油を注いでしまった妻。

ジョンが友人宅に着いたときには、友人とその妻に、自分の子供と妻が非難され、半べそをかいていてる光景を目の当たりにする。

客観的にみると、ジョンの妻と子供が悪いのだが、ジョンは彼女たちを悪しざまに言う友人と険悪な雰囲気になり、ついには殴り合う....という物語だ。

単なる親馬鹿の話なのかもしれないが、父はこうあるべきだという確かな信念が物語から伝わってくる。レイモンド・カーヴァーの短編小説「自転車と筋肉と煙草」と、ちょっと似ている。

フィッツジェラルドは、これらの作品を、二十四から二十九歳の間に書いたというが、全体的には、どれも完成度が高く読ませる内容になっていると思う。



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