その作品が書かれたことも、そして現代まで生き残ったことも確かに奇跡のような出来事なのかもしれない。
池澤夏樹は「源氏物語」を、こんな風に評する。
『源氏物語』ではすべての登場人物が作者の頭の中から生まれた。だから「小説」なのだ。
光君の誕生以前から浮舟の出家まで前後七十年に亘る登場人物たちの運命を、作者は一人で糸を紡いで染めて織って大きな緞帳にまとめ上げた。五十四編からなる、この長編小説は、今後、中巻、下巻が出るらしいが、さすがに読み切れるものかと心配になったが、巻末にある角田光代の「訳者あとがき」と藤原克己と池澤夏樹のよくできた解説を読んで、これは確かに面白い小説かもしれない、読んでみようという気になった。
特に、角田光代の、とにかく読みやすさを意識した訳文であれば、読み切ることができるかもしれないと思うことができた。
(さらにいいのは、編ごとに、家系図があり、人物関係が一目でわかる工夫がされていることだ)
「桐壺」は、光源氏生誕のいきさつが書かれた物語だ。
父の帝に深く愛された美貌の母 桐壺更衣。権力の後ろ盾もない彼女は、帝の愛情を一身に受けたことで、後宮の女御たちの嫉妬と怨嗟に苛まれる。
光君を産んだが、心労がたたり、光君が三歳の時に亡くなってしまう。
物語中、面白いと思ったのは、光君を観相(人相見)した高麗人のコメントである。
「この子には天子となるべき相がおありだが、この子が天子になると乱憂が生ずるであろう。しかしながら臣下の地位にいてよい相ではない」
帝はこの観相を信じ、光君を臣下の身分に下し、源の姓を与える。
一方、帝は桐壺を失った悲しみを癒すため、彼女によく似ている藤壺の宮を愛するようになる。帝が光君を連れ立ち藤壺をよく訪ねることがきっかけで、光君は継母である藤壺を母のように慕い、成長するにつれ、その思いは恋慕に変わってゆく。
「帚木(ははきぎ)」は、光源氏が十七歳に成長したころの話。「桐壺」との直接的なつながりが感じられない一編なのだが、これも池澤夏樹の解説を読むと納得できる。
冒頭の文章が面白い。
光源氏、というその名前だけは華々しいけれど、その名にも似ず、輝かしい行いばかりではなかったそうです。この編では、雨の夜、光君が妻の葵の上の兄の頭中将らと、女性経験を話し合うという流れから、光君が臣下の紀伊守の家に突然押しかけ、彼の父である伊予介の後妻(まだ若い)である空蝉(うつせみ)を寝取ってしまう展開になる。
光君は、再び彼女に会うため、彼女の年の離れた弟の小君と親しくなり、恋文を持たせ、彼女の返事を催促するようになるが、空蝉は光君に対する自分の歳と身分を意識し、彼の分不相応な愛は受け入れられないと拒否する。
しかし、かえってその拒否が光君の思いを募らせ、再度、紀伊守の家を突然訪問することになるが、空蝉は内心では光君に心乱れながらも、再び断固として会うのを拒否する。
面白いのは、光君の意外な執拗さで、彼は悔しさに眠れもせず、小君に彼女が隠れているところに連れて行ってくれと頼むところだ。
結局、彼は諦めることになるが、この空蝉の件一つにしても、彼の女性の好みは、幼い頃に亡くした母の桐壺と彼女の面影を引き継いだ継母の藤壺に強く影響され、自分より年上の人妻に偏向しているのが分かる。
角田光代の現代語訳は読みやすく、物語の中心に難なく近づくことができているような気がする。
*初刊だけだと思うが、お香の入った栞(しおり)が付いている。
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