佐藤春夫と思われる新聞記者が大正時代半ばに友人とともに台湾の荒廃した街を散策した際、無人のはずの豪華な廃屋の二階から若い女性の声を聞く。
不審に思った二人が近隣の住民に話を聞くと、それはかつてその家に住んでいた豪商だった沈家の一人娘の幽霊だという。
そして、二人は沈家の短い栄枯盛衰の歴史を聞くことになる。
台湾人の友人は幽霊の存在を信じるが、作者はきっと若い恋人たちが隠れた密会の場所に選んでいたのではないかと推測を立てる。
興味をかきたてられた作者は再び廃屋を訪ねるが幽霊の姿はなく、一本の扇を拾う。
その扇に書かれていた女性の生き方を指南する言葉が本書のタイトルになっている。
再訪後、二人はその廃屋で若い男が首吊り自殺をしたことを知る。
作者はその男の第一発見者がきっと恋人で、彼らが聞いた女の声の主ではないかと仮説を立て、新聞記者の仕事を利用し会いに行く...という物語だ。
怪奇ものではあるが、終始クールな空気が流れているのは佐藤春夫が人生に対して時折みせる退廃的な雰囲気のせいだろう。
例えば、こんな一節。
いったい私は必要な是非ともしなければならない事に対してはこの上なくずぼらなくせに、無用なことにかけては妙に熱中する性癖が、その頃最もひどかった。
そうして私自身はというと、いかなる方法でも世の中を制服するどころか、世の力によって刻々に圧しつぶされ、見放されつつあった。
私はまず第一に酒を飲むことをやめなければならない。何故かというのに私は自分に快適だから酒を飲むのではない。自分に快適でないことをしているのはよくない。無論、新聞社などは酒よりもさきにやめたい程だ。で、すると結局はあるいは生きることが快適でなくなるかも知れない惧れがある。だが、もしそうならば生きることそのものをも、やめることがむしろ正しいかもしれない。...
0 件のコメント:
コメントを投稿