この井伏鱒二の「白毛」も実に珍妙な話で、およそ既存の全集では見かけないような作品である。
作者(おそらく井伏鱒二、本人)は、仕事にとりかかるときに、つい所在なさげに、白毛(白髪)を抜き、それを釣り糸のようにつなぎ合わせる癖がある。
釣りが趣味だから、漁師結びやテグス結び、藤結びなど、骨が折れるような凝った結び方までしてしまう。
作者は結びながら、渓流釣りの場面を思い浮かべるのだが、どうしても消せない不快な思い出があるという。
それは、 偶然知り合った二人の青年と一緒に釣りをしていた時の話だ。
一人の青年がテグスを忘れてしまい、もう一人の青年と言い合いになる。
二人は酒を飲み、酔っぱらっていて険悪な雰囲気。
作者は、雰囲気を和らげるために、馬の毛を抜いてテグスの代わりにすることを提案するが、青年たちは思いがけない行動に出る...という話だ(読んでみてのお楽しみ)。
人の毛の強さが禁欲の有無、節制の度合いによって弾力性に開きが出てくるという話や、娘の生毛(うぶげ)が、男を知っているかどうかで違ってくる説など、作者の“毛”に対する興味は止むところがない。
なんとも変わった話だが、井伏鱒二の写真を見ながら、これが実話だったらと思うと、つい笑ってしまう。
堅いイメージのある作家だが、実は、かなり面白いおじさんだったのかもしれない。
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