2016年1月11日月曜日

砂浜に座り込んだ船/池澤夏樹

池澤夏樹の短編小説集。

「砂浜に坐り込んだ船」は、座礁した船を見ているうちに、死んだ友人を思い出す主人公が、座礁した船の写真を見ながら、その友人と語り合う話だ。

母親を火災で亡くし、その人生をリセットできず、命を絶ってしまった友人と静かに語り合う。それは、慰霊のようにも思えるが、真実は、生者が死者に救いを求めている。
「スティル・ライフ」と雰囲気が似ている。

「苦麻の村」は、福島県双葉郡大熊町から東京都江東区東雲の住宅に強制避難させられた住民が、図書館で地元の新聞「福島民報」を読むうちに失踪し、人知れず、大熊町に戻ってしまう話。
 いわきが、磐城という頑丈な城の意であったこと(蝦夷に対して)、大熊町がその最前線で、「クマ」が敵の強さを誇張しようとつけられたのかもしれないという推測は、初めて聞いた説だったので、新鮮だった。

放射能の恐怖に、住民の生活が将来の選択肢も含め、ひどく限定され、固まってしまったことは事実。でも、それは決して決まったことではなく、その気になれば、本来の自由な生活を取り戻すことが出来るのだという生き方、考え方は、ひどく魅力的だ。

「上と下に腕を伸ばして鉛直に連なった猿たち」は、五十歳で自殺した男が、死後の世界で、十八歳で事故でなくなった姪と再会する話。自殺することは悪い事なのだろう。しかし、死後にこのような世界(救い)があると思っても、それは罪にはならないだろう。

「大聖堂」は、大震災の日に、島に行ってピザを焼くことが出来なかった少年3人が、あの日、ピザを焼くことが出来れば、震災は起こらなかったのではないかという思いに駆られ、果たせなかったピザ焼きを実行する話だ。理性で考えれば、何の関係もない事柄だけれど、もし、あの時、そうしていれば、現実は違ったものになったのではないかという思いにかられるのは、何となく共感できる。

「夢の中の夢の中の、」は、朝、ビジネスマンの男が深い眠りの誘いに逆らえず、二度寝した30分の間に、次から次へと平安時代の頃の夢をはしごして見続ける話。この物語だけ、死と関係ないのかなと思ったが、眠りもまた死であり、夢もあの世と考えれば、おかしくはない。

「イスファハーンの魔神」は、 死が間近い父が、病床で、ペルシャ時代の美しい水差しを無心する。考えた娘と妻は、イミテーションをガラス工芸職人に作らせる。しかし、その出来が見事すぎたせいで、不思議な出来事が起こる。死というものが、ここまで軽くて明るい雰囲気に終わる物語も珍しい。

「監獄のバラード」 は、女を捨てた男が、北海道の吹雪の中、その女の父親の墓参りをする。男は、降りしきる雪の中、女の父親に、あなたの娘を捨てたという汚れを祓ってくださいとお祈りする。何とも不思議な物語だ。

 「マウント・ボラダイルへの飛翔」 は、池澤夏樹と思われる男と、イギリスの旅行作家のブルース・チャトウィン(1940-1989)が、オーストラリアのピンク・レイクという塩湖で出会い、お互いが経験した旅の話やアボリジニの世界観を語り合い、最後には、二人とも虹の虻になって飛んでいくという不思議な物語だ。まだ、この作品のすべてを理解できていないが、スケールの大きさを感じる作品だ。

今の日本の現状、人の死を扱いながらも、どこか、非現実的で明るい雰囲気を失わない池澤夏樹 の作品は、読んでいて楽しい。

http://www.shinchosha.co.jp/book/375309/

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