哲学講師の金井湛
金井の人生の中で記憶に残った性の記憶。
六歳の時に、春本を読んでいた後家と娘にからかわれた思い出
七歳の時に近所のじいさんに父母の性生活をからかわれた思い出
十歳の時に家の蔵で見つけた春本に描かれた男女の異様な姿、そして女の子の体への興味
十一歳の時に聞いた落語の中の女郎買いの話
十三歳の時の寄宿舎における男色の誘い
十四歳の時の自慰の話、友達の母親に迫られた話
十五歳の時の軟派と硬派の友達から感じる性的欲求
十七歳の時に気になった古道具屋の娘の話
十八歳の時に間借りした家にいた女中から感じた性的な印象
十九歳の時に見た美しい芸者
二十歳の時の令嬢とのお見合いの話、そして吉原での童貞喪失
二十一歳の時の待合での芸者との体験
ドイツ留学先での凄味の女との体験
そして二度の結婚
こうして書き出してみると、話の数は多い感じはするが、セックスの詳しい描写までは踏み込まず、どれも手前の部分にとどめている姿勢に徹している。
そのせいか、一丁、性的生活を書いてみよう、と目論んだ金井の最初の意気込みとは裏腹に、以後の記録は、これらの性的な出来事から、臆病なくらい必死に自分を守っている男の姿が延々と描かれているような印象を受ける。
性的なものは恐ろしいものであるかのように。
案外、今の草食系男子の時代にフィットした小説かもしれない。
100ページ程度のボリュームで、かつ、森鴎外の文章はとても読みやすい。
2015年2月27日金曜日
2015年2月23日月曜日
風立ちぬ 菜穂子/堀 辰雄
先週、宮崎駿監督の「風立ちぬ」がテレビ放映されていた。
この物語は、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)を開発した堀越二郎(実在の人物)の生涯に、堀辰雄が書いた「風立ちぬ」と「菜穂子」の物語の要素が加えられたものだったこともあり、堀辰雄の作品が急に読みたくなった。
「風立ちぬ」は、夏、避暑地の草原で、熱心に絵を描く節子と、傍で寝そべる私(小説家と思われる)のシーンから始まる。このあたりの描写は映画の避暑地の様子と重なる部分がある。
やがて、二人は婚約するのだが、節子は、私のために病気を治すため、山岳地方にあるサナトリウムでの治療を決意する。ここも 映画と重なるが、異なってくるのは、私が付き添いとして、一緒にサナトリウムに行って、節子と暮らすところだ。
私は、節子との愛を育むものとして、その療養生活を肯定的なものとして捉える。
少しずつ、病状が悪化してゆく節子と暮らす私。
物語は、一見すると静かな生活の断片を積み重ねてゆくだけのようにも思えるが、そこには明らかに死の影があり、それを感じながら必死に愛を確かめ合う二人の姿が描かれている。
そういう意味では、映画で描かれた二郎と菜穂子の恋愛よりも、より重いものを感じる。
「菜穂子」は、菜穂子の母 三村夫人(未亡人)の手記から始まる。母の手記からは、娘 菜穂子との不和が分かる。原因は、三村夫人に恋愛感情を抱く作家と、その感情を完全に拒否していない母の関係があるためだ。
この母の恋愛感情に対する反発が、その後の菜穂子の人生を決定することになる。
彼女は、明らかに彼女に不釣合いと思われる見合い相手 黒川圭介(映画では、堀越二郎の上司の名前と同じ)と結婚することになる。
夫は、家庭では母親とばかり話をするようなサラリーマンで、 菜穂子は決して幸せとは言えない生活を送ることになる。
そんな生活が祟ってか、菜穂子は結核を患い、八ヶ岳山麓の結核療養所に入院することになる。
今まで妻に無関心だった夫も一度、見舞いに来るが、二人の溝は埋まらない。
やがて、菜穂子の幼馴染だった明が彼女を見舞ったことと、不仲だったはずの夫の母親からの手紙をきっかけに、菜穂子の内面に変化が生じる。
菜穂子は、 雪が激しく降る日、療養所を抜け出し、夫が住む東京行きの列車に乗る。
ここは、映画と重なる部分ですね。
しかし、東京で彼女を出迎えた夫の一言は「面倒な事は御免だよ」という冷たい言葉。
さらに、菜穂子は、姑が病気だという理由で、夫の住む家にも帰れず、ホテルで宿泊することになる。
彼女は、夫に対して、何故、東京に来たのかという理由を、こんなふうに説明する。
映画の「風立ちぬ」の物語と比較すると、いかにも、小説の菜穂子は可哀想な気もする。
しかし、たとえ、そこに愛する夫がいようがいまいが、二人の菜穂子の思いは根っこの部分では同じものだったのではないだろうか。
この物語は、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)を開発した堀越二郎(実在の人物)の生涯に、堀辰雄が書いた「風立ちぬ」と「菜穂子」の物語の要素が加えられたものだったこともあり、堀辰雄の作品が急に読みたくなった。
「風立ちぬ」は、夏、避暑地の草原で、熱心に絵を描く節子と、傍で寝そべる私(小説家と思われる)のシーンから始まる。このあたりの描写は映画の避暑地の様子と重なる部分がある。
やがて、二人は婚約するのだが、節子は、私のために病気を治すため、山岳地方にあるサナトリウムでの治療を決意する。ここも 映画と重なるが、異なってくるのは、私が付き添いとして、一緒にサナトリウムに行って、節子と暮らすところだ。
私は、節子との愛を育むものとして、その療養生活を肯定的なものとして捉える。
少しずつ、病状が悪化してゆく節子と暮らす私。
物語は、一見すると静かな生活の断片を積み重ねてゆくだけのようにも思えるが、そこには明らかに死の影があり、それを感じながら必死に愛を確かめ合う二人の姿が描かれている。
そういう意味では、映画で描かれた二郎と菜穂子の恋愛よりも、より重いものを感じる。
「菜穂子」は、菜穂子の母 三村夫人(未亡人)の手記から始まる。母の手記からは、娘 菜穂子との不和が分かる。原因は、三村夫人に恋愛感情を抱く作家と、その感情を完全に拒否していない母の関係があるためだ。
この母の恋愛感情に対する反発が、その後の菜穂子の人生を決定することになる。
彼女は、明らかに彼女に不釣合いと思われる見合い相手 黒川圭介(映画では、堀越二郎の上司の名前と同じ)と結婚することになる。
夫は、家庭では母親とばかり話をするようなサラリーマンで、 菜穂子は決して幸せとは言えない生活を送ることになる。
そんな生活が祟ってか、菜穂子は結核を患い、八ヶ岳山麓の結核療養所に入院することになる。
今まで妻に無関心だった夫も一度、見舞いに来るが、二人の溝は埋まらない。
やがて、菜穂子の幼馴染だった明が彼女を見舞ったことと、不仲だったはずの夫の母親からの手紙をきっかけに、菜穂子の内面に変化が生じる。
菜穂子は、 雪が激しく降る日、療養所を抜け出し、夫が住む東京行きの列車に乗る。
ここは、映画と重なる部分ですね。
しかし、東京で彼女を出迎えた夫の一言は「面倒な事は御免だよ」という冷たい言葉。
さらに、菜穂子は、姑が病気だという理由で、夫の住む家にも帰れず、ホテルで宿泊することになる。
彼女は、夫に対して、何故、東京に来たのかという理由を、こんなふうに説明する。
「雪があんまり面白いように降っているので、私はじっとしていられなくなったのよ。聞きわけのない子供のようになってしまって、自分のしたい事がどうしてもしたくなったの。それだけだわ。……」一見すると滑稽なような気がするが、死の影を感じながら、自分が選択した人生の意義を必死になって確かめている行為にも思える。
映画の「風立ちぬ」の物語と比較すると、いかにも、小説の菜穂子は可哀想な気もする。
しかし、たとえ、そこに愛する夫がいようがいまいが、二人の菜穂子の思いは根っこの部分では同じものだったのではないだろうか。
2015年2月18日水曜日
アパルトヘイトをめぐるThe Daily Beast の記事
内田樹さんのブログで、また、気になる記事があった。
アパルトヘイトをめぐるThe Daily Beast の記事から
http://blog.tatsuru.com/2015/02/18_0935.php
作家の曽野綾子氏が、産経新聞のコラムに書いた記事が問題になっているらしい。
http://pbs.twimg.com/media/B9hkP4DIAAAGKYa.jpg:large?.jpgpdf
この文章を読むと、日本の労働力不足による補充のために移民の受け入れは不可避であるが、移民とは一緒には暮らしたくない!という思いが、せつせつと伝わってくる。
しかも、ご丁寧に、曽野氏が何故そう思ったかについて、
これでは、The Daily Beast の記事において、
この記事に対して、、南アフリカ駐日大使およびNPO法人アフリカ日本協議会が、さらに、国内のアフリカ研究者の組織「日本アフリカ学会」の歴代会長ら約80人も、コラムの撤回や関係者への謝罪などを求め、連名の要望書を出しているという。
私が、The Daily Beast の記事を読んで、もっとも気になったのは、産経新聞以外の日本のマスコミが本件を報道する際、曽野氏が、安倍首相の肝いりで発足した「教育再生実行会議」の元アドバイザーであった事実、そして、文科省によって昨年全国の中学に配布された教材「私たちの道徳」の中で、曽野氏が書いた「誠実な心」が取り上げられていた事実について、全く触れていなかったということだ。
民主党政権で、仮にこの問題が起きていたら、読売新聞を筆頭に、曽野氏と政権との関係を徹底的に糾弾していたのではないだろうか。
倫理を訴えるのも権力とのバランス次第という事なのだろうか。
日本のマスコミが、大した事件ではないという認識を持っているとしたら、日本という国が、世界的な歴史認識と倫理規範に、相当鈍感な国だと思われても仕方あるまい。
こんな国が、慰安婦問題について、戦後の歴史認識について、いくら自己の正当性を主張しても、誰も信用しないだろう。
アパルトヘイトをめぐるThe Daily Beast の記事から
http://blog.tatsuru.com/2015/02/18_0935.php
作家の曽野綾子氏が、産経新聞のコラムに書いた記事が問題になっているらしい。
http://pbs.twimg.com/media/B9hkP4DIAAAGKYa.jpg:large?.jpgpdf
この文章を読むと、日本の労働力不足による補充のために移民の受け入れは不可避であるが、移民とは一緒には暮らしたくない!という思いが、せつせつと伝わってくる。
しかも、ご丁寧に、曽野氏が何故そう思ったかについて、
「20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」という内心まで吐露している。
これでは、The Daily Beast の記事において、
日本の全国紙の一つのコラム内で南アフリカにおける人種隔離政策(アパルトヘイト)を日本の移民政策のモデルとして称賛する文章を発表した。と報道されても仕方がない内容になっていると思う。
この記事に対して、、南アフリカ駐日大使およびNPO法人アフリカ日本協議会が、さらに、国内のアフリカ研究者の組織「日本アフリカ学会」の歴代会長ら約80人も、コラムの撤回や関係者への謝罪などを求め、連名の要望書を出しているという。
私が、The Daily Beast の記事を読んで、もっとも気になったのは、産経新聞以外の日本のマスコミが本件を報道する際、曽野氏が、安倍首相の肝いりで発足した「教育再生実行会議」の元アドバイザーであった事実、そして、文科省によって昨年全国の中学に配布された教材「私たちの道徳」の中で、曽野氏が書いた「誠実な心」が取り上げられていた事実について、全く触れていなかったということだ。
民主党政権で、仮にこの問題が起きていたら、読売新聞を筆頭に、曽野氏と政権との関係を徹底的に糾弾していたのではないだろうか。
倫理を訴えるのも権力とのバランス次第という事なのだろうか。
日本のマスコミが、大した事件ではないという認識を持っているとしたら、日本という国が、世界的な歴史認識と倫理規範に、相当鈍感な国だと思われても仕方あるまい。
こんな国が、慰安婦問題について、戦後の歴史認識について、いくら自己の正当性を主張しても、誰も信用しないだろう。
2015年2月16日月曜日
森鴎外 青年/日本文学全集 13
漱石の「三四郎」と「青年」が並べられて日本文学全集に収められるとは、さすがの森鴎外も予想だにしなかったかもしれない。
解説にも書かれているが、森鴎外の「青年」は、鴎外が漱石の「三四郎」を読んで、「三四郎」の人物と物語構成を大よそ真似て作られたものだからだ。
小川三四郎と小泉純一、出身は熊本県と山口県で、前者は大学進学、後者は小説家希望と、多少異なっているが、ともに田舎から出て来た青年という意味では変わらない。
(ただ一つ違うのは、純一の方が美少年らしく、出会った女性の関心をことごとく買ってしまうところ)
三四郎の同郷の先輩である野々宮宗八は、同じく同郷の先輩作家である大石狷太郎、
三四郎の母は、下宿屋の婆さん、
三四郎の友人である佐々木与次郎は、瀬戸速人、
野々宮の妹であるよし子は、お雪さん、
美禰子は、坂井夫人と考えると、あらかた符合している。
ただ、広田先生のような明治の日本に批判的な人物が出てこないのは、やはり、 鴎外が体制側の人物だったからだろうか。
おまけに、純一が講義を聴いた平田拊石(ふせき)は漱石で、大石狷太郎は正宗白鳥、鴎外自身も、鴎村という名前で主人公の言葉をして自虐めいた扱いで登場させている。 純一が物語の冒頭で大石の家を探す際に使った地図が鴎外が考案した東京方眼図というのも、ひどくゴシップ的である。
これらの設定からして、ひょっとして、「三四郎」のパロディではないかと思う人もいるかもしれないが、物語は、「三四郎」に漂う軽妙さとは異なり、若干、重いトーンで進んでゆく。
その原因は、明らかに純一の方が自分の中にある性の欲望を意識していて、その抑制に苦しんでいることだろう。
彼をそのような思いにさせるのは、「凄いような美人」の坂井夫人の意味ありげな目つきなのだが、この坂井夫人、実はそれ以外の個性というものが、あまり感じられない。
「三四郎」の美禰子が知的な言葉で三四郎を翻弄するのとは決定的に違っている。
そういう意味で、「青年」の純一と坂井夫人の関係は、会話や社交的な駆け引きによって高まる恋愛ではなく、もっと写実的な生な男女関係のようであり、池澤夏樹が解説で述べているとおり、「自然主義的」な感じを受ける。
鴎外の作品の中では、決して最良のものとは思えないが、純一がスケベ心に勝てず、坂井夫人が宿泊している箱根に行ってしまう件(くだり)なんかは、妙にリアルで共感してしまうところがある。
「三四郎」との比較、ゴシップ部分も含め、鴎外の常のイメージにはない面白さが感じられる当たり、特筆すべき作品なのかもしれない。
解説にも書かれているが、森鴎外の「青年」は、鴎外が漱石の「三四郎」を読んで、「三四郎」の人物と物語構成を大よそ真似て作られたものだからだ。
小川三四郎と小泉純一、出身は熊本県と山口県で、前者は大学進学、後者は小説家希望と、多少異なっているが、ともに田舎から出て来た青年という意味では変わらない。
(ただ一つ違うのは、純一の方が美少年らしく、出会った女性の関心をことごとく買ってしまうところ)
三四郎の同郷の先輩である野々宮宗八は、同じく同郷の先輩作家である大石狷太郎、
三四郎の母は、下宿屋の婆さん、
三四郎の友人である佐々木与次郎は、瀬戸速人、
野々宮の妹であるよし子は、お雪さん、
美禰子は、坂井夫人と考えると、あらかた符合している。
ただ、広田先生のような明治の日本に批判的な人物が出てこないのは、やはり、 鴎外が体制側の人物だったからだろうか。
おまけに、純一が講義を聴いた平田拊石(ふせき)は漱石で、大石狷太郎は正宗白鳥、鴎外自身も、鴎村という名前で主人公の言葉をして自虐めいた扱いで登場させている。 純一が物語の冒頭で大石の家を探す際に使った地図が鴎外が考案した東京方眼図というのも、ひどくゴシップ的である。
これらの設定からして、ひょっとして、「三四郎」のパロディではないかと思う人もいるかもしれないが、物語は、「三四郎」に漂う軽妙さとは異なり、若干、重いトーンで進んでゆく。
その原因は、明らかに純一の方が自分の中にある性の欲望を意識していて、その抑制に苦しんでいることだろう。
彼をそのような思いにさせるのは、「凄いような美人」の坂井夫人の意味ありげな目つきなのだが、この坂井夫人、実はそれ以外の個性というものが、あまり感じられない。
「三四郎」の美禰子が知的な言葉で三四郎を翻弄するのとは決定的に違っている。
そういう意味で、「青年」の純一と坂井夫人の関係は、会話や社交的な駆け引きによって高まる恋愛ではなく、もっと写実的な生な男女関係のようであり、池澤夏樹が解説で述べているとおり、「自然主義的」な感じを受ける。
鴎外の作品の中では、決して最良のものとは思えないが、純一がスケベ心に勝てず、坂井夫人が宿泊している箱根に行ってしまう件(くだり)なんかは、妙にリアルで共感してしまうところがある。
「三四郎」との比較、ゴシップ部分も含め、鴎外の常のイメージにはない面白さが感じられる当たり、特筆すべき作品なのかもしれない。
2015年2月15日日曜日
夏目漱石 三四郎/日本文学全集 13
明治時代と聞くと、文芸の世界では、筆頭に夏目漱石の肖像が頭に浮かんでくるけれど、漱石の年齢と明治の年の数が一致しているのを見るだけで、その思いが強くなる。
夏目漱石が、四十一歳の時に書いた青春小説であり、時は、明治四十一年。
日露戦争が明治三十八年に終結しているので、その戦後間もない時期ということになる。
日本が、司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」の坂を上りきって、 山崎正和の言う「不機嫌な時代」に移っていったその時代なのだが、この「三四郎」からは、そういった虚無感というか暗さは、ほとんど感じられない(ほのかには見える)。
一番の理由は、漱石の文章が俳味が利いていて、重苦しくないからだと思う。広田先生がつぶやく日本の将来を予言しているかのような言葉にさえ、軽妙なユーモアが漂っている。
それに、三四郎という主人公の性格のせいもあるだろう。
熊本出身の田舎の学生であり、いかにも、のほほんとした雰囲気が漂っている。
上京の際、女性と同宿する羽目になるが、何もせず一夜を過ごしたら、「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」と、その女性から言われてしまう。
東京では、美禰子(みねこ)という、いかにも都会的な女性と知り合うことになるが、恋愛の雰囲気が漂いながらも、気の利いたことばが言えず、翻弄される立場になる。総じて言えば、女性慣れしていない、うぶな青年である。
東大に入るエリートでありながら、国のために勉強をとか、立身出世いう意気込みも感じられない。律儀に講義(週に四十時間!)を受けるが、勉学に面白さを感じることができない。
お調子者風の友人に相談したら、「下宿屋のまずい飯を一日に十辺食ったら物足りるようになるか考えてみろ」とどやしつけられてしまう。
そして、その友人には馬券ですって困っているという理由でお金を貸してしまい、返してもらえなくて、田舎の母にお金を無心してしまう。
まったく、世慣れていない。
しかし、そういうある意味、プレーンな性格だからこそ、 三四郎は魅力的だし、色々な人々に諭され、翻弄され、事件に巻き込まれてしまうのだろう。
そして、今、読んでも、 三四郎みたいな田舎の青年は、おそらく都内の学生にもいるだろうし、きっと色々な人々や事件に翻弄されるのだろうと、現代と重ね合わせて読むこともできると思う。
個人的には、三四郎の上京の場面から冴えない大学生活を中心に描いていた前半部分が圧倒的に面白いと思う。 美禰子との関係が中心になりはじめた後半からは、正直、その面白さが半減してしまった感はある。
しかし、明治四十年頃の日本の社会の雰囲気を伝えながら進んでゆく物語は、いかにもイギリスの文学を勉強した漱石らしく、しっかりとした作りの小説になっていて、それがこの物語に一種の風格を与えているような気がする。
夏目漱石が、四十一歳の時に書いた青春小説であり、時は、明治四十一年。
日露戦争が明治三十八年に終結しているので、その戦後間もない時期ということになる。
日本が、司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」の坂を上りきって、 山崎正和の言う「不機嫌な時代」に移っていったその時代なのだが、この「三四郎」からは、そういった虚無感というか暗さは、ほとんど感じられない(ほのかには見える)。
一番の理由は、漱石の文章が俳味が利いていて、重苦しくないからだと思う。広田先生がつぶやく日本の将来を予言しているかのような言葉にさえ、軽妙なユーモアが漂っている。
それに、三四郎という主人公の性格のせいもあるだろう。
熊本出身の田舎の学生であり、いかにも、のほほんとした雰囲気が漂っている。
上京の際、女性と同宿する羽目になるが、何もせず一夜を過ごしたら、「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」と、その女性から言われてしまう。
東京では、美禰子(みねこ)という、いかにも都会的な女性と知り合うことになるが、恋愛の雰囲気が漂いながらも、気の利いたことばが言えず、翻弄される立場になる。総じて言えば、女性慣れしていない、うぶな青年である。
東大に入るエリートでありながら、国のために勉強をとか、立身出世いう意気込みも感じられない。律儀に講義(週に四十時間!)を受けるが、勉学に面白さを感じることができない。
お調子者風の友人に相談したら、「下宿屋のまずい飯を一日に十辺食ったら物足りるようになるか考えてみろ」とどやしつけられてしまう。
そして、その友人には馬券ですって困っているという理由でお金を貸してしまい、返してもらえなくて、田舎の母にお金を無心してしまう。
まったく、世慣れていない。
しかし、そういうある意味、プレーンな性格だからこそ、 三四郎は魅力的だし、色々な人々に諭され、翻弄され、事件に巻き込まれてしまうのだろう。
そして、今、読んでも、 三四郎みたいな田舎の青年は、おそらく都内の学生にもいるだろうし、きっと色々な人々や事件に翻弄されるのだろうと、現代と重ね合わせて読むこともできると思う。
個人的には、三四郎の上京の場面から冴えない大学生活を中心に描いていた前半部分が圧倒的に面白いと思う。 美禰子との関係が中心になりはじめた後半からは、正直、その面白さが半減してしまった感はある。
しかし、明治四十年頃の日本の社会の雰囲気を伝えながら進んでゆく物語は、いかにもイギリスの文学を勉強した漱石らしく、しっかりとした作りの小説になっていて、それがこの物語に一種の風格を与えているような気がする。
2015年2月11日水曜日
イスラム国(IS) 日本人 人質事件をめぐる日本政府の対応
非常に興味深い記事なので、以下に転載する。
■ 下記のロイターの記事を日本語訳した内田樹さんの記事
http://blog.tatsuru.com/2015/02/09_1434.php
■ ロイターの記事(英文)
http://www.reuters.com/article/2015/02/08/us-mideast-crisis-killing-japan-idUSKBN0LC0N720150208
今回の人質事件をめぐる日本政府の対応が、いかに致命的な失敗を重ねていたものだったかが分かる記事だ。
政府は、後藤健二さんの奥さんとISの間で開かれていた連絡窓口だけでなく、イスラム法学者 中田氏が持つルートも活かすことをせず、ヨルダン政府と連携することを決定したことで、これらのISとの連絡ルートを事実上閉ざしてしまった。
おまけに、訳が分からないが、CTSS Japan株式会社という民間の危機管理サービス会社に協力を依頼していたという事実もあったらしい。
唯一、日本のマスコミではTBSの「報道特集」が取り上げたらしい。
政府内で、今回の一連の対応について検証を進めるつもりらしいが、こういう重要事実を公表せずに、何を検証しろというのだろう。
あるいは、さっそく、「特定秘密」扱いということなのだろうか。
こんな政府対応が「適切だった」と答えている世論調査の結果は、本当にどうかしている。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150207-OYT1T50099.html
■ 下記のロイターの記事を日本語訳した内田樹さんの記事
http://blog.tatsuru.com/2015/02/09_1434.php
■ ロイターの記事(英文)
http://www.reuters.com/article/2015/02/08/us-mideast-crisis-killing-japan-idUSKBN0LC0N720150208
今回の人質事件をめぐる日本政府の対応が、いかに致命的な失敗を重ねていたものだったかが分かる記事だ。
政府は、後藤健二さんの奥さんとISの間で開かれていた連絡窓口だけでなく、イスラム法学者 中田氏が持つルートも活かすことをせず、ヨルダン政府と連携することを決定したことで、これらのISとの連絡ルートを事実上閉ざしてしまった。
おまけに、訳が分からないが、CTSS Japan株式会社という民間の危機管理サービス会社に協力を依頼していたという事実もあったらしい。
唯一、日本のマスコミではTBSの「報道特集」が取り上げたらしい。
政府内で、今回の一連の対応について検証を進めるつもりらしいが、こういう重要事実を公表せずに、何を検証しろというのだろう。
あるいは、さっそく、「特定秘密」扱いということなのだろうか。
こんな政府対応が「適切だった」と答えている世論調査の結果は、本当にどうかしている。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150207-OYT1T50099.html
2015年2月10日火曜日
樋口一葉 たけくらべ 川上未映子 訳/日本文学全集 13
「たけくらべ」という作品を読んだことがなく、恥ずかしながら、「ガラスの仮面」という少女漫画の中で、おぼろげにその大体のあらすじを知っていただけだった。
実はこの作品を読む前に、原文を読もうとしたのだが、江戸期を思わせる古文は読むには読めるのだが、注を読みながらのせいもあるかもしれないが、正直頭にバシッと入ってこなかった。
そういう訳で、原文も読み切れないまま、ほぼ、まっさらな状態で、川上未映子 訳の「たけくらべ」を読んだのだが、とてもテンポよく一気に読み切ることができた。
何というか、非常に不思議な感じがした。
物語は、明らかに江戸の雰囲気が残った東京の町と子供たちが描かれているのだが、その物語のなかで饒舌に話す美登利、長吉、正太、そして冒頭で遊郭周りの町の風景を話す樋口一葉の口調は、まさに現代語なのだ。
新訳とは、こういうことなのか。
すでに古事記の池澤夏樹訳を読んでいるが、やはり、明治(江戸)の方が、そして、この物語の設定の方が、まだ身近に感じるせいだろうか、ストレートにその面白さが伝わってきた。
その最たるところは、やはり、軒先で鼻緒を切ってしまった信如に対して、美登利が、美しい友禅の紅葉模様のきれを投げ入れる場面の文章だと思う。
美登利の切ない思いが痛いほど伝わってくる。
川上未映子は、「もし一葉が現代に生きていて、現代の言葉でこの『たけくらべ』を書くとしたら…」と問い続けたということだが、その試みは成功していると思う。
実はこの作品を読む前に、原文を読もうとしたのだが、江戸期を思わせる古文は読むには読めるのだが、注を読みながらのせいもあるかもしれないが、正直頭にバシッと入ってこなかった。
そういう訳で、原文も読み切れないまま、ほぼ、まっさらな状態で、川上未映子 訳の「たけくらべ」を読んだのだが、とてもテンポよく一気に読み切ることができた。
何というか、非常に不思議な感じがした。
物語は、明らかに江戸の雰囲気が残った東京の町と子供たちが描かれているのだが、その物語のなかで饒舌に話す美登利、長吉、正太、そして冒頭で遊郭周りの町の風景を話す樋口一葉の口調は、まさに現代語なのだ。
新訳とは、こういうことなのか。
すでに古事記の池澤夏樹訳を読んでいるが、やはり、明治(江戸)の方が、そして、この物語の設定の方が、まだ身近に感じるせいだろうか、ストレートにその面白さが伝わってきた。
その最たるところは、やはり、軒先で鼻緒を切ってしまった信如に対して、美登利が、美しい友禅の紅葉模様のきれを投げ入れる場面の文章だと思う。
美登利の切ない思いが痛いほど伝わってくる。
川上未映子は、「もし一葉が現代に生きていて、現代の言葉でこの『たけくらべ』を書くとしたら…」と問い続けたということだが、その試みは成功していると思う。
2015年2月1日日曜日
今日という一日
最悪の結末を迎えてしまったが、ひとつ救いだったのは、後藤健二さんが、とても周りの人々に愛されていたということだ。
彼のお母さんや奥さん、友人、同僚は、皆かしこく、彼への愛情にあふれており、そんな人たちが周りにいた彼の人柄は、おのずと分かってしまう。
そんな後藤さんだからこそ、シリアで苦しい生活を強いられる人々に目を向け、湯川さんを助けに 危地にあえて向かったのだろう。
今回の事件で私の心に強く残ったのは、醜いナイフとテロの脅迫に屹立するかのように、後藤さんをめぐって垣間見えた人を愛すること、そこから生まれる強さと美しさだったのだと思う。
後藤さんのご冥福を心からお祈りいたします。
彼のお母さんや奥さん、友人、同僚は、皆かしこく、彼への愛情にあふれており、そんな人たちが周りにいた彼の人柄は、おのずと分かってしまう。
そんな後藤さんだからこそ、シリアで苦しい生活を強いられる人々に目を向け、湯川さんを助けに 危地にあえて向かったのだろう。
今回の事件で私の心に強く残ったのは、醜いナイフとテロの脅迫に屹立するかのように、後藤さんをめぐって垣間見えた人を愛すること、そこから生まれる強さと美しさだったのだと思う。
後藤さんのご冥福を心からお祈りいたします。
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