エッセイとは、「形式にとらわれず,個人的観点から物事を論じた散文」のことを言うらしいが、やはり、作者個人の趣味嗜好が強く感じられる文章だと思う。
雑誌に掲載されている一文を読むだけであれば、大抵の文章は読み切ることはできると思うが、単行本としてまとめられたもの全てを読み切るには、興味を引く内容が相当な程度、収められていなければならない。
私の場合、かなり飽きっぽいので、つまらない内容が2つ、3つ続くと、すぐに読むのをやめてしまうのだが、片岡義男のこの本は読み切ることができた。
いかにも片岡義男らしい作品(コーヒーやハワイ、風船ガムの話)もあるが、こんな人なのかという意外なテーマ(料理本、居酒屋、弁当、俳句などの日本的な内容)もあった。
もっとも心に残ったのは、チャンドラーの翻訳でも知られる田中小実昌(たなか こみまさ)に、新宿の地下道で、「なんだ、テディじゃないか」と声をかけられ(片岡は「テディ片岡」というペンネームを過去に使っていた)、紀伊国屋に行き、船橋のストリップ・ショーを見に行き、ふたたび新宿に戻り、全盛期の頃と思われるゴールデン街を徹夜で飲み歩く「コーヒーに向けてまっ逆さま」だった。
よけいな表現が削ぎおとされていて、読んでいて不潔な印象を受けないところは、海老沢泰久の文章と似ている。
最後の「真夜中にセロリの茎が」も、不思議な味わいがある。
「真夜中のセロリの茎」という同じ題名で4回、短編小説を書くことになった話で、片岡がその小説のあらすじも含めて、なぜ書き直すことになったか、その理由を説明するのだが、片岡が間違いだと感じた部分が少なくとも私にはピンと来ない(書き直した内容のほうがちょっと現実離れした展開になる)。
また、片岡が4回目に書き直そうと思い立った直接の原因となる3回目に書き直した小説は、片岡が思い込んでいた物語とは全く違った内容だったことを読者に指摘されたというエピソードも、何とも不思議な話である。
まるで、丸谷才一の短編小説「樹影譚」の主人公である作家が、樹の影をテーマにした短編小説をナボコフが書いていたと思い込んでいた話のようだ。
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