2014年10月13日月曜日

なにを買ったの?文房具。/片岡義男

前作の 文房具を買いにと同じコンセプトの本なので、特に読むまでもないかなと思ったが、出だしの「一本の鉛筆からすべては始まる」の文章にさそわれて、つい読んでしまった。
こんな文章だ。
いま僕は一本の鉛筆を手にしている。ひとり静かに、落ち着いた気持ちで、指先に一本の鉛筆を。
…孤独な僕は、I think better with a pencil in may hand.というワンセンテンスを思い出す。鉛筆を手にしていると自分はより良く考えることができる、という意味だ。ずっと以前にどこかで読み、それ以来いまも忘れずにいる。
本書でも、前作同様、さまざまな文房具を紹介してゆくが、片岡自身の思い入れは、やはり、作家としての仕事道具である鉛筆、鉛筆削り、消しゴム、手帳、ノートブックに比重が高くなっていると思う。

それらに関する文章も印象的なものが多い。
学校の勉強を始めるために、まず鉛筆を削った。削り終えたら勉強を始めなくてはいけないから、何本もの鉛筆をゆっくり丁寧に削った。…削っていくあいだの子供の気持ちは、大げさに言うなら、覚悟の醸成だったのではなかったか。学校の勉強は嫌だが、嫌だ、というその気持ちや態度の克復が、じつは勉強だった。
また、
内ポケットから手帳を取り出し、この鉛筆を背中から抜き、指先で手帳のページを繰り、芯を舌の先でなめ、なにごとかを書き込んでいく大人を、僕が子どもの頃にはしばしば見かけた。平凡ではあるがそれなりに誠実な大人なのではないかと、子供心にも多少の感銘を受けたりもしたが、すでに長いことこのような大人を見ていない。平凡でなおかつ誠実な大人が、日本から消えたからか。
あるいは、
消しゴムは、じつは、まったく新たな可能性、というものの権化なのだ。…正しくないものを、いまだ不充分なものなどを、消し去ることによって、そこにより正しい試みを、消しゴムは用意する。消しゴムによって消されたあとには、広大な可能性の地平が出現しているのだが、多くの人はその事実に気づかない。
本書には、多くの文房具の写真が使われているが、黒いケント紙のうえで、太陽の光を気持ちよく浴びて、上品に佇んでいる色彩ゆたかな文房具のすがたを見るのは心地よい。

一眼レフカメラにマクロ・レンズを付けて撮影した片岡自身、その快楽に勝てず、つい、もう一冊書いてしまったという本だろう。 008.jpg

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