2013年12月15日日曜日

緑の影、白い鯨/レイ・ブラッドベリ

どこか幻想的な題名に惹かれて読んだ本だったが、全く予想に反した内容だった。

『華氏451度』で有名なSF作家であるレイ・ブラッドベリが、三十代の頃に、映画監督のジョン・ヒューストンから、彼が映画化するメルヴィルの「白鯨」の脚本化を依頼され、アイルランドで半年間、仕事をしたときの実話に基づいた作品だ。

当時、赤狩りが席巻していたアメリカを嫌い、アイルランドに移住していたジョン・ヒューストンは、知的な一面もありながら、酒と女とギャンブル、馬と狩りを好むマッチョな映画監督だった。

一方、レイ・ブラッドベリはイリノイ州の田舎町に生まれた生真面目な青年。
以下の写真(前者が右、後者が左)が、いかにも二人の雰囲気を表している。



才能はあるけれど、周りへの配慮はほとんどない。自分の思いつきで行動し、周りの人も巻き込み翻弄し、時には深い考えもなく人を傷つける言葉を吐く。(作品中、ブラッドベリも何度かその被害にあう)

そういう人が雇い主の下、難解な「白鯨」(完読率が極端に低い本らしい。私も読み切れていません)を脚本にするという難事業。

そんなブラッドベリの慰めになったのは、アイリッシュパブの酒と音楽を愛する常連のアイルランドの人々だったらしい。

しかし、そんなlittle helpがあったとしても、1年のうち329日も雨が降るという陰鬱な気候で、日曜の午後の過ごし方も途方にくれるという退屈なアイルランドのダブリンの片田舎で、何のロマンスもなく、半年間よくぞ耐えて仕事を完成させたね、ブラッドベリさん!というのが、読んだ率直な印象だ。

作中、一番面白かったのが、ジョン・ヒューストンの悪行の数々、そして、それに翻弄される彼の妻やブラッドベリの描写ということを思うと、ブラッドベリには、もともと、そういったことも楽しめる、ある種のマゾっぽい感覚があったのかもしれない。

物語の最後のほうで、ブラッドベリが、パブの人に「いつかは戻ってくるかね?」と聞かれ、はっきりと否定したように、彼は二度とアイルランドの土地は踏まなかったのではないだろうか。

そして、その気持ちはとてもよく分かる。
(映画の脚本家の仕事も、これ以降、引き受けなかったらしい)

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